日本陸上競技連盟「ODA、船降りろ」

13年のモスクワ大会後に転機が訪れたという。
それは織田が番組中にはしゃぎ過ぎたことから、日本陸上競技連盟が水面下でTBSに番組内容改善の要請を行ったのがきっかけ。織田としては、視聴者に陸上の魅力をPRするためだったのに、陸連からクレームがきたことには大いに不満だったという。そのため、織田サイドは15年の北京大会の時点で出演に難色を示していたが結局、番組スタッフたちとの絆もあって続投することに。しかし、織田は淡々と仕事をこなすようになってしまい、番組としての面白みは欠けていった。

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