病院もやばいんだが

事件当時、Aの経営していた「A病院」は、外科・内科・小児科・放射線科を有していた大病院(ベッド数171床)で、
他の病院が受け入れたがらない生活保護受給者や暴力団員も「人道的措置」と称して積極的に入院させることで、入院患者数を増やし、常時130人以上の入院患者がいた。
これにより、病院は健保制度と医師優遇税制の恩恵を享受していた。しかし、常勤医師は院長A以外に1人しかおらず、入院患者の無断外泊や、
飲酒・覚醒剤濫用、病院内での患者同士の喧嘩を発端とする殺人事件の発生などが問題視され、小倉医師会から入院患者の監督を十分行うよう、厳しい注意を受けたこともあった。
特に事件発生より半年前(1979年5月)には、入院中の患者同士が飲酒して喧嘩し、1人が殴られて死亡する事件が発生していた。