他の都道府県民から「特徴が掴みにくい」と評される埼玉県にあって[37]、浦和地域は県庁所在地として行政機能を有するものの、「対外的な顔としての機能を持たない」[37]、「明確なイメージがない」地域と見なされていた[38]。また、教育熱の高さや、公務員や大学教員の在住率の多さから「北の鎌倉」と称しているが本家には遠くおよばず[38]、住民気質については「変にプライドが高く(中略)、水商売を軽蔑」[39]といった指摘もある。そんな地域にとっての数少ない拠り所がサッカーだった[38]。
この地域では1960年代後半頃から急速な都市化により宿場町以来の街並みは失われ、それと並行するかのように住民はサッカーに拠り所を求めるようになっていた[40]。その源となった浦和地域の高校サッカー部は「浦和を制するものは全国を制する」なるスローガンを掲げ、街の代表としての一体感や連帯意識を強く持ち合わせていた[41]。それが高じて一部の公立高校が団結して私立の新興勢力を排除する動きが見られた[42]。
また、浦和レッドダイヤモンズというクラブ自体も、創設期には海のものとも山のものとも分からない「プロサッカー」をめぐり地域との間で活発な議論や交流もあったが[40]、2010年代には新規サポーターの獲得を目指すような積極的な行動は少なく、旧来のサポーターのみを対象とした内向きな情報発信に終始している[43]。こうした変化を好まない内向き志向が発端となって本事件も起きたのではないか、という指摘がある[43]。

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