駿台日本史のトップ講師だった野島博之が東大時代に原理研(統一教会)にやられたことブログに書いてたけどすごかったわ

5月か6月ごろ、ひょんなことから、僕は学園祭の委員長になった。
おそらく同時期に代議員大会が開かれ、そこで学園祭から原理研を排除する提案が可決された
この日を境に平穏な日常は過ぎ去り、常に砲撃される日々が始まることになる。

まずは大量のビラ。
それは「野島委員長の思想弾圧と断固闘う」というもので、少しずつ内容を変えながら、学園祭終了までの間に、学内で数十万枚はまかれたかなあと思う。
そのビラには三人の似顔絵があり、僕はヒトラーとスターリンを両脇において、なんと肩を組んでいた
仕方なく「歴史上の人物と並べられるなんて名誉なことだ」と考えることにした。

次は直接の抗議。
学生会館(学館)の一室に、回数は覚えていないけれど、監禁された
数時間罵倒されるのはなかなか苦痛で、その真剣すぎる顔つきは長く記憶に残った。
仕方なく「トイレが我慢できないんだ」といって逃げることにした。
相手も疲れていたのだろう。
追いかけてはこなかった。

当時、原理研は武闘派の育成にも熱心だった。
確か、正道術部とか射撃同好会なんていうサークルがあった。
たまに、そこに所属するお兄さんたちもやってきた。

ヒョイと身体をもちあげられ、学館のトイレに連れこまれる。
便器に顔を突っこまれて、まもなくすると、これでもくらえという勢いで水が流れてきた
とっても無様な格好だった気がする。
仕方なく「今日は銭湯代が節約できる」と思いこむことにした。

そんなこんなで授業には出られなかった語学はもとより、体育の単位さえ取得できなかった。

ある時、学生担当の役職に当時就いていた西部邁(すすむ)先生に、「怪我はないかい?」と声をかけられた。
先生もまだ若かったはずだが、それは「地獄に仏」のような表情にみえた。
https://ameblo.jp/nojimagurasan/entry-12752937024.html