公認野球規則では投手が投球姿勢に入った時や、バッテリーがサイン交換している時に打者が打席を変更すると反則行為でアウトになるが、1球ごとに打席を変えること自体は問題ない。

 では、珍しい両打ち像はどのようにして生まれたのか。

 山口内野手は小学4年で野球を始め、元々は右打ちだった。小学校時代は打線の中軸を担ったものの、有田工では下位が定位置となった。長打より俊足を生かすために出塁が求められた。

 しかし、2アウトの場面で打席が回ると、相手投手のペースにのみ込まれ、何度も凡退した。「早打ちして相手に流れがいってしまった」

 転機は、学校初のセンバツ出場を控えた今春だった。練習試合の途中で梅崎信司監督(43)がトイレに行き、ベンチに不在だった時に打席が回ってきた。奇手を放っても監督に怒られる心配がないチャンスとみて、「何でもいいから出塁したい」と1球ごとに立つ打席を変えてみた。俊足を生かして内野安打を狙うため、2021年秋から左打ちも練習しており、右打席と同じ感覚で打てる自信があったという。

 センバツでも、4強入りした国学院久我山(東京)と1回戦で対戦した際、打席の途中で左右を変更した。結果は三振に倒れたが、その後も試合のたびに試した。1球ごとに打席を変えると、相手投手がやりにくさを感じたのか、四死球で出塁する回数が増えた。

 確率が悪そうな方法に見えるが、山口内野手は「ピッチャーを揺さぶって、球数を投げさせることができればいい」と意図を説明する。梅崎監督も「(相手投手を)揺さぶれる山口はうちの強み」と異例のスタイルを認めている。
https://mainichi.jp/articles/20220813/k00/00m/050/001000c.amp