だが、吉田の国葬にはだれもがもろ手を挙げて賛成したわけではなかった。
国葬当日の渋谷駅前のハチ公前広場では、共産党や民主団体の宣伝カーが反対演説をしてビラをまいていた。革新系首長の自治体では、平常どおり業務が行われていた。東大駒場キャンパスには、「するな黙祷、許すな国葬」と書かれた立て看板があった。
国葬に関心を示さない人も多かった。浅草六区では黙祷の合図のサイレンがなっても誰も足を止めない。東京駅でも、スピーカーで黙祷の合図が知らされたが、足を止めて目を閉じたのはごくわずかであった。銀座の女子高校生は黙祷している人をみて「あれ、なにやってるの」と言う始末だったという(『朝日新聞』1967年10月31日夕刊)。
東大生「するな黙祷♪許すな国葬♫」
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1それでも動く名無し
2022/08/14(日) 13:45:21.14ID:hiy7DDFUM■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています