南陽工業との練習試合当日、下関国際の部員は8人しか揃わなかった。それでも山崎監督は8名を連れて練習試合へ来るよう促した。
足りない1名は南陽工業の部員を貸してくれた。県内の歴史ある強豪校が胸を貸してくれたうえ、A軍レギュラー選手ばかりを揃え、下関国際8名の相手をしてくれた。
強豪の胸を借り必死に下関国際の生徒は戦ったが、1点も取ることができずに午前中の1試合を終えた。

「お前、(敗因を)選手のせいにしとるだろう」

昼食の時間、坂原監督は山崎監督からそう言われた。下関国際が弱いのは、人数が集まらないことや
能力の高い選手が集まらないことが原因だと思っているだろうというのだ。坂原監督の胸には思い当たる節があった。

すると山崎監督からびっくりする提案があった。午後の2試合目は監督を入れ替えてやってみようと言われたのだ。下関国際を山崎監督が指揮し、南陽工業を坂原監督が率いるのである。


試合が始まって早々、下関国際の部員たちは普段通りに山崎監督に話しかける。敬語は上手く使えず態度も良くなかった。
「ちょっと持っといて」と、山崎監督にバットを持たせ、スパイクの紐を結び直している選手までいた。
何度も何度も坂原監督は生徒の失態を詫びに向かおうとしたが、山崎監督は絶対に南陽工業ベンチを離れさせなかった。

対する南陽工業ベンチでは、山崎監督の教えが骨の髄まで染みついたAチームの選手たちが下関国際を相手に真剣に試合をしていた。
率いる坂原監督は、特に何も指示は出さず南陽工業の生徒たちが作る試合を見ていた。自分たちで判断しゲームを作れる。指示をする必要もないと思っていた。


そうこうして試合が終わると、結果はなんと6対6の引き分け。午前中までどこと練習試合をしても負けることが多かった下関国際が、強豪校相手に引き分けていた。

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名将山崎
名将坂原