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中学時代に同級生の子を身籠ったことをきっかけに、養父から性的虐待を日常的に受け出した。
母親は世間体を気にして、養父の性的虐待を黙認していた。高校1年途中の15-16歳で家出をしたため[2][1]、長崎県立長崎南高等学校を学校側から強制退学となる[3]。

1979年20歳の時に初婚となる結婚をするが、ほどなく離婚[2]。

1986年27歳当時、母と妹は漫画家になった春菊の稼ぎに依存していたことで「母にされたことを世間に出さなければ、死んでも死にきれない。養父の行為を黙認した母が何よりいやがったのが、世間体でしたから」
と小説「ファザーファッカー」を書き始めた時のことを明かしている。そして、自分に子どもがいないまま死んだら、稼いだお金が全部母たちに相続されてしまうと危機感を覚え、母親と絶縁している[1]。 

1992年33歳の時に第1子の男の子(長男)を出産[2]。

1995年35歳の時に同居していた男性と入籍し、二度目の結婚[2]。 

1997年37歳の時に第2子の女の子(長女)を出産[2]。 1999年40歳の時に第3子の女の子(次女)を出産[2]。

2000年41歳の時に別居していた夫と離婚し、同居していた俳優の貴山侑哉と入籍し、三度目の結婚[2][5]。 

2001年42歳の時に第4子の男の子(次男)を出産[2]。

2006年47歳の時に貴山と離婚はするも、その後2012年までの6年間は事実婚状態であった[2]。

「男女の友情は成立する」とし、三度目セックスするまでなら男友達の関係でいられるとの持論を持っている[5]。

母ちゃんめちゃくちゃやんけ