【下関国際・坂原監督】
・野球部員が全然いないDQN高校の校長に「給料はいらないので野球部の指導をさせてください」と熱い手紙を送る
・窓ガラス割れた落書きだらけの部室でのスタートでボール数個グラウンド草ボーボーでトンボさえなく、選手は私服の半袖シャツと短パンで練習
・部員が集団窃盗の事件を起こし試合にすら出られず、監督が風紀を正すために生活厳しくすると部員は1人になるも「もし甲子園に出たら寮を建ててください」と校長に直談判して口約束をとりつける
・人数不足で試合に出られないから部員が練習をサボってたらただ一人監督だけが朝早くきていたのでそれをみた部員たちも渋々練習に参加
・全く勝てないまま同県の南陽工業に試合を申し込むも8人しかおらず部員を借りる始末
・遠征や用具を買うのにお金がかかるので監督自ら漁港で荷下ろしのバイトをやったり地域の餅つきへ参加してお金を稼いだ
・寮がなかった頃は県外の選手たちのサポートをする為に4回引っ越しして自分のボーナスもそれに全て使う
・毎月15日はその月に誕生日の選手の為にケーキをご馳走するお誕生日会を開催
・私立の強豪校から引き抜きがあり、待遇は給料を今より2倍出すと何度も口説かれたが、「武田校長や子供たちを甲子園に連れていく。だから行きません」と断った
・エースで主将を任せてた選手が脱走。監督は下関市内を自転車で6時間探して回り、「今は苦しいだろうが、いつか報われる」と説得。そのエースが悲願の甲子園出場の原動力になり、この時逃げたそのエースが現在は下関国際のコーチとして監督の右腕