ガーナ人の父を持つブライトが幼少期にしていたスポーツは柔道だった。当時指導していた澤田弘明さんは「瞬発力とバネは本当に凄い子だった。未だに忘れられない。(柔道を続ければ)オリンピックまで出たんじゃないか」というほどの逸材だった。だが、「父が以前から野球が好きだったので、野球をやりたいなと思って」と、小学6年生で柔道から野球の道へと進んだ。

 高校、大学では周囲も驚く“伝説”を残した。都葛飾野時代の春季大会で左膝じん帯を損傷しているにも関わらず代打出場。そして5球目に右前打を放ち、片足の「ケンケン」で一塁まで走り切った。大学では試合で打てずに負けた後は、室内練習場で日付が変わってもバットを振り続け、疲れ果てたブライトは室内練習場で眠ってしまい朝を迎えたという。

ポテンシャルはあるやろ?