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実際の詞を手掛けたのは鈴木敏夫の娘の鈴木麻実子で、宮崎駿がそれに補作している。映画版の雫は中学3年の設定、この楽曲がリリースされた時点の本名陽子の年齢は16歳で、麻実子の年齢もそれに近かったという。
元々、麻実子は「ひとりで生きると 何も持たずに まちを飛びだした」という詞をつけたが、宮崎が「ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢見ていた」と変更案を出し、麻実子の案を支持した監督・近藤喜文と宮崎が対立したという[2]。