ヤクルトのみならず、球界の主砲へと成長を遂げた村上には、熊本の九州学院時代に「天敵」がいた。球児が甲子園に出場できるチャンスは1年夏、2年春夏、3年春夏の計5度。村上は2015年の1年夏に聖地の土を踏んで以来、残りの4度の出場機会をすべて同じ高校に阻まれ続けた。

 秀岳館高等学校――。鍛治舎巧監督が率いた新興勢力が、「火の国」で隆盛を誇った時代だった。

 秀岳館には、村上と同学年に世代トップクラスの左腕が2人いた。ひとりは現ソフトバンクの田浦文丸。そしてもうひとりが日本代表にも選ばれ、高校卒業後、立教大学へと進んだ川端健斗だ。通算対戦成績は6打数1安打4三振。川端が当時を回想する。