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右翼団体と仲良くやってたのはこの頃までやで

1984年6月10日に、『世界日報』の路線の対立で追放された副島嘉和らが『文藝春秋』に出した告発手記で、
久保木修己が天皇の身代わりで文鮮明師に拝礼する秘密儀式があるとする暴露をした。それにより、勝共連合を
反共運動の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し、久保木に質問状を出す。3ヶ月後に久保木は、
副島手記の内容を否定する回答をした。「平和と安全を守る七大都市大会」の大阪大会では、右翼標榜暴力団や
民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」 「世界を股にかけるペテン師の金集め」などの批判ビラを会場周辺に張り、
大会を妨害した。