ちなこれは中日のポジ記事

高卒3年目で2ケタ本塁打到達なら立浪監督以来 中日・石川昂弥が一軍で奮闘中

中日の若き大砲・石川昂弥に「大きなあたり」が増えてきた。
中日は広いバンテリンドームを本拠地としていることもあり、現役で2ケタ本塁打を記録している高卒の生え抜き選手というと、平田良介と堂上直倫、福田永将、高橋周平の4人だけしかいない。
 いずれの選手も2ケタ本塁打の到達には年数を要しており、もっとも早く到達した平田で6年目。このなかで唯一ルーキーイヤーにプロ初本塁打を記録した高橋でも、初の2ケタ本塁打到達は7年目だった。福田は10年目で、堂上に至ってはなんと13年目となる。
 よって、3年目の石川が2ケタ本塁打に到達すれば現役では最速となる計算だ。これは現在チームを率いる立浪和義監督が、3年目の1990年に11本塁打を記録して以来のスピード記録となる。
 しかし、1990年の中日はバンテリンドーム(ナゴヤドーム)に移転する前で、ナゴヤ球場を本拠地としていた。当時のナゴヤ球場はバンテリンドームと比べて両翼が8.5メートル、中堅も約3メートル、フェンスは2メートル以上低かったため、バンテリンドームよりも本塁打は出やすい球場と言える。もし石川が2ケタ本塁打に到達すれば、本拠地が移転してからは初の快挙だ。
 また、平田や堂上、福田に高橋も30本塁打はもちろん、20本塁打も未経験。中日生え抜きの高卒選手で20本塁打に到達したのは、現・打撃コーチの森野将彦氏が22本塁打を放った2010年まで遡らなければならない。これはセ・リーグ6球団ではもっとも遠ざかっていることになる。
 石川のここまでの2本塁打の弾道を見る限り、立浪監督以となる高卒3年目での2ケタ本塁打到達、さらにはその先にある20本塁打も決して高望みではないように見える。