吉田茂の真似するんやったら学校は休みやしテレビも自粛やぞ


戦後の国葬は吉田茂ただ一人である。憲法二十条(信教の自由)と第七条(天皇の国事行為)を厳密に解釈すると、国葬は憲法に違反することになり、吉田の場合も物議をかもした。 しかし、当時の首相佐藤栄作の強い要望で実現した。

国葬は十月三十一日、皇太子ご夫妻をはじめ、外国使節ら約五千七百人が参列して、九段の日本武道館でしめやかに行われた。この日、学校は午後休校、ふさわしくないドラマ、歌謡ショー、CM などがラジオ・テレビから一斉に姿を消し、自粛番組が放送された。

戦後、新憲法施行によって国葬令は昭和二十一年に失効した。憲法二十条では「国およびその機関は宗教教育、その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めており、吉田茂の国葬(昭和四十二年十月)の場合は閣議決定によって行われたが、問題化した。

このため、佐藤栄作の場合は自民党、国民有志による国民葬(昭和五十年六月)とし、経費の一部を国費から支出する閣議決定をしている。