元信者、お気持ち表明

藤枝 貴志
2022年09月09日

私は元統一教会員で、教会の問題もいろいろ承知していますが、今回の件では教会は非常に可哀そうだと思う。

教会は積極的に、反共産主義を打ち出し、共産主義の進出を止めることを大きな使命として、日本や米国で、政治に関わってきた。そのために信者の献金によって大量のお金を投入しましたが、それによって教会自体が得したことは、実質ほとんどない。

教義的には、大義のためには多少の無理な活動は許される、という部分が確かにあり、それが、結果的に、リスク管理への甘さ、霊感商法などにつながっていると思う。しかしリスク管理をしそこなったことは経営部の責任大。

教義的に、反日という人がいるが、実際内部では、教祖は、韓国人に対しては「戦前のことで日本人を責めるな、補償など求めるな」といい、日本人に対しては「戦前のことはすべて許す、日本は世界を救う使命を持つ、世界の中心国家である」と言っていた。曲解できる部分だけ取り上げて拡大解釈するのはおかしい。

観察上、多くの信者は教会において人生を救われたと感じており、逆の人より圧倒的に多い。大量の献金をした後に、迷いを持った人に、擦り寄り、返金請求させてお金をとり、自らの思想的信条を実現しようとする弁護士は、自分の正義感の信条でやっているのだから、自由にやったらよいが、第三者は客観的に状況を把握できるべき。

この団体を無くすにはどうしたらよいか。それはこの団体のありのままの姿を、プラス面もマイナス面も、理解し評価したときに、自然に消えると思う。マイナス面だけ強調して攻撃しても、反発と恨みが残るだけ。

教祖も、生前、この教会は無くなるべきだと言っていた。皆が人として尊重しあえる、世界平和がある程度実現すれば、教会は必要なくなるという話。

しかしこれだけ攻撃されれば、この先は難しいかもしれないですね。そのような形になったとしたら、私としては、この教会の、非常に多くの人の純粋な思いと努力に対する報いとしては、非常に残念な形だなと思います。