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だが荒井が本格的に指導に着手しようと考えた2年目。畠山は荒井の期待を見事に裏切る。二軍でそこそこやれたことで、生来の「遊び好き」の病気が出たのだ。

同じ球を打つにしても、パチンコに夢中になった。全体練習後に「個人で特打をやる」と言っては、抜け出してパチンコ屋へ直行。練習休日も、開店前の列に並んだ。そんな「不良選手」の実態は、高校の恩師・矢田の耳にも入った。畠山が挨拶に来ると、冗談交じりに、こう叱りつけた。

「パチンコで勝って入るカネなんて、たかが知れているぞ。本塁打王、タイトルをとればいくら稼げると思っているんだ」

畠山は当時の自分について、本誌の二宮清純レポートの取材に、こう答えている。

「練習をサボることしか頭になかった。たとえば〝1時間打て〟と言われたら10分だけ打って、あとの50分は風呂に入ってました。

戸田の寮もよく抜け出しました。門限は夜の10時なんですが、夜中に浦和や川口の繁華街に繰り出す。酒もボトル1本は軽かったですね」

畠山に、深夜まで飲んでも翌朝はやるべきことをやるような自分への厳しさはなかった。当然、朝寝坊が増えた。荒井は打撃指導だけでなく、畠山の生活面の更生も担当することになる。

「畠山だけ、毎朝二軍寮の近くにある練習場までの散歩を命じました。ほかの選手より30分早い、朝6時30分起床。散歩で練習場に行き、戻ってきて、みんなと一緒に朝食を食べる。それを習慣にさせたかった。

私も、畠山が本当に散歩しているかチェックするため、横浜市内の自宅を5時30分に出て、練習場近辺に隠れて監視しました。すると、畠山はある日、自転車で練習場に現れたんです。寮長にバレるから、朝、寮を出ることは出るけど、すぐに自転車に乗ったのでしょう。ナメていましたよ。現役引退後、昨年まで14年間、コーチをした中で、私が手をあげたのは彼だけです」

畠山は根っからのサボり癖やから…