第2代執権・北条義時の死去に伴い、伊賀光宗とその妹で義時の後妻(継室)・伊賀の方が、伊賀の方の実子・政村の執権就任と、娘婿・一条実雅の将軍職就任を画策した

伊賀氏の不穏な動きを察した尼将軍・北条政子は、京から鎌倉に戻った義時の長男・北条泰時を執権に就任させる。また義村に対し泰時への支持を確約させ、伊賀氏の政変を未然に防ぐことに成功した[1]。これにより伊賀氏の陰謀は頓挫する[1]。伊賀の方は伊豆北条へ、光宗は信濃へ、光宗の弟朝行・光重は九州へ配流となり、公卿である実雅は朝廷に配慮して京都へ送還された後に越前へ配流となった。

サンキュー政子