はえー

鎌倉幕府北条氏編纂書である『吾妻鏡』に重忠に関する美談が多いのは、世の重忠の人物評が高かった故に、それを滅ぼしたのは平賀朝雅と牧の方であり、
義時はやむなくそれに従ったとする北条氏弁護の立場によるものと考えられる[注釈 7]。