【急募】史実のりくを、視聴者が納得する形で死なせる方法

朝雅の妻だった娘は公家の権中納言・藤原国通に再嫁し、牧の方は時政の死後、京都の娘夫妻の元に身を寄せ、贅沢に暮らしていたという。嘉禄3年(1227年)3月に国通の邸で夫・時政の13回忌を行い、一族を引き連れて諸寺詣を行っている様子が『明月記』に記され、筆者の藤原定家はこの時の牧の方の振る舞いを批判している。