愛甲 季隆(あいこう/あいきょう すえたか)は、鎌倉時代前期の武将。相模国愛甲郡愛甲荘愛甲[1]の御家人。

元久2年(1205年)の畠山重忠の乱で幕府による畠山重忠討伐軍に加わり、二俣川の戦いで武勇の誉れ高い重忠に矢を命中させてその首を取り、幕府軍大将の北条義時の陣に献上した。

建暦3年(1213年)5月の和田合戦では和田義盛方に与して敗北し、兄・小太郎義久ら一族と共に討ち死にした。