事件後、福岡拘置所で面会した速人は、私に次のように語っていた。

「俺にとって、兄は敵っていう感じです。恨みと怒りしかない。いつも訳もわからずに、あらゆる暴力をふるわれていました。
いきなり殴られる、首を絞められる、銃(エアガン)で顔を撃たれるとか。物をつかって叩かれることもしょっちゅうでした。
ムカつきましたけど、4歳離れているからやり返すこともできず、ただやられてたってだけです」

長男は、父親から受けていた虐待の怒りを幼い弟にぶつけていたのだろう。言ってしまえば、自分の精神が崩壊するのを防ぐために、
速人をストレス解消のはけ口にしていたのだ。

やがて長男の行為は速人に対する身体的な暴力に加えて、性的な暴力にまで及ぶ。自分のペニスや肛門を舐めさせるなどして
自慰行為を手伝わせたのだ。

家には父親の所有していたアダルトビデオやポルノ雑誌がそこら中に散らばっていたり、両親が子供たちの前で性交したりすることがあった。
そうした環境の中で、長男は性的指向がゆがんでいたと思われる。

速人は兄の言いなりになるだけでなく、自分自身でも性的な関心を膨らませていくようになった。