サコ学長のWikipedia、いきなりヤバすぎるやん

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1966年、マリ共和国の首都バマコ生まれ。高校卒業後、中華人民共和国の北京語言学院に派遣され留学。その後南京市の東南大学で建築学を学ぶ。卒業後大学院で建築デザインを専攻。1988年12月にアフリカ人学生寮が中国人学生から襲撃を受けるという大規模な人種差別事件が起こった。命の危険を感じたサコら黒人留学生たちは、それぞれ母国の大使館で保護してもらおうと移動した当時のことを「恐ろしい事件だった。」と語っている[2]。東南での5年間を経て、中国での研究に不自由を感じ、母国で国家公務員として採用される予定も経済の悪化で延期[3]、日本に行くことを決断した[4]。