なお若さで言えば小円遊
酷いと収録の日でも酒の匂いを漂わせていたがスタッフや共演者の意を汲んで収録前夜は酒を控えるなど酒量を減らす努力はしていた。
だが当時、自身も病床に入っていた初代林家三平からもTV越しで体調を心配されるほどに健康の悪化が進み、生前最後の大喜利出演となったハワイ公演から帰国後も、空港から出るや否や近くの花壇に力無く座り込んでいるのを歌丸に目撃されている。
なお、これが2人が顔を合わせた最後の機会になった。
そして、1980年10月5日、公演先の山形県で食道静脈瘤破裂を起こしてしまう。
この日は開演前から「気分が悪い」と訴えており、楽屋のトイレで2度吐血するものの体調不良を押して昼の部に参加。
だが、マクラを語っている際に気分が悪くなり約7分で高座を下りる。その後、戻った楽屋のトイレで3度吐血し遂に倒れ、緊急搬送されるも急逝した。43歳の若さであった。
【速報】円楽、死去
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927それでも動く名無し
2022/09/30(金) 17:38:25.58ID:ietBmgOw0レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。