【歴史】申し訳ないけど、邪馬台国は畿内以外ありえないよ。卑弥呼=百襲姫説がやっぱ正しい...
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◯=近似 ◎=酷似 △=微妙
卑弥呼[魏志倭人伝]
◯①倭国大乱を収めるために王として立てられる
◎②鬼道(シャーマニズム)を用いる
◎③夫はいない
◎④非常に高齢
△⑤弟がいて国を治めるのを助けている(崇神は弟とされていないため“微妙”)
△⑥卑弥呼の死後、新たに男王を立てたが国中が不服で互いに殺しあった
◯⑦卑弥呼の墓:直径百余歩(約150m)
百襲姫[日本書紀崇神紀]
◯①多発する災害、疫病を静めるために登場
◎②巫女として大物主が神憑りする
◎③夫はいない
◎④崇神天皇の大叔母
△⑤将軍の反乱を予言(笑)。崇神に忠告し、崇神が反乱軍を返り討ちにする。(崇神は弟ではないため“微妙”)
△⑥崇神天皇は畿外へ四道将軍を派遣し征伐を開始する
(確かに百襲姫没の記事自体は征伐より前に置かれているが、没年に関する記載がないので、畿外征伐との先後が断言できず“微妙
”)
◯⑦百襲姫の墓と見做される[宮内庁治定]
箸墓古墳の規模:
墳長278メートル
【後円部】径約150メートル
高さ約30メートル
これだけ似てりゃ、同一人物だ 日本書紀は天孫降臨から皇室支配が連綿と続いてきたって体裁を取っている
だから中国史書に記載されてる「倭国大乱」を書けなかった
代わりに、「国民の半数が死に絶えるよあう疫病や災害が多発した」と書いたってところだな
【人災を天災にすり替えた】 魏志倭人伝には日本全国の地名が書かれてるのに、なぜ未だに九州説唱える人達がいるのかわからん
已百支對馬[ツスマ]國→対馬
一支[イキ]國→壱岐
末廬[マツロ]國→松浦
伊都[イツ]國→糸島
奴[ナ、ヌ]國 →那珂
不彌[プミ]國→宇美
投馬[ヅマ]國→但馬or出雲
邪馬臺[ヤマドゥ]國→ヤマト
狗奴[クナ、クヌ]國→久怒(山梨から呉の年号が記された銅鏡出土)
斯馬[シマ]國→不明
巴百支[パパキ]國→不明
伊邪[イヨ]國→伊予(愛媛伊予市)
彌奴[ミナ、ミヌ]國→美濃
奴古都[ナコツ、ヌコツ]國→額田
對蘇[ツソ]國→土佐
蘇奴[ソナ、ソヌ]國→讃岐
鬼[クィ]國→紀伊
巴利[パリ]國→播磨
支惟[キグィ]國→吉備
華奴蘇奴國←和奈佐(徳島県) 倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼に対応
「倭の女王に男弟有り、助けて国を治む」の弟王が崇神に対応
で、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が臺与(トヨ)に対応するわけだろ
邪馬臺国はどう考えても畿内だよ 知らんけど然るべき場所で発表してくればええんちゃうか >>8
魏志倭人伝に出てくる殆どの国が九州に比定されてるのに邪馬台国だけ近畿の特別扱いの理由は?
普通に東遷しただけだよね? >>10
伊都国は後に怡土郡として登場
そして糸島 糸島でクソでかい銅鏡出てるのはなんでや?誰のなん? >>13
?以下全部九州じゃないけど
投馬[ヅマ]國→但馬or出雲
邪馬臺[ヤマドゥ]國→ヤマト
狗奴[クナ、クヌ]國→久怒(山梨から呉の年号が記された銅鏡出土)
斯馬[シマ]國→不明
巴百支[パパキ]國→不明
伊邪[イヨ]國→伊予(愛媛伊予市)
彌奴[ミナ、ミヌ]國→美濃
奴古都[ナコツ、ヌコツ]國→額田
對蘇[ツソ]國→土佐
蘇奴[ソナ、ソヌ]國→讃岐
鬼[クィ]國→紀伊
巴利[パリ]國→播磨
支惟[キグィ]國→吉備
華奴蘇奴國←和奈佐(徳島県) つまりどういうこと?
ようわからんけど真面目な考察なんGに書いても勿体ないからTwitterで識者の見解求めた方がよくない? ヤマトの人達だって元々九州から移ってきた人達だろうし邪馬台国がどこか決める意味ある? お隣でも狗奴国みたいな敵対国家あったっぽいのに近畿から中国行けんのか舞鶴から船で直行した訳あるまいし 卑弥呼が百襲姫であったとしても邪馬台国が九州でなかった徹底的根拠にはならないでしょ 日本書紀とか嘘ばっか書いてあるもんソースとか言われてもね 『日本書紀の編者が魏志読んで寄せただけじゃないの?』
ごもっともな疑問ですね
ですがそれも真っ向から否定されますよ
何故か?
日本書紀の編者は卑弥呼と神功皇后を混同させようとしているからです
例えば
日本書紀神功皇后66年の記事で注釈的に倭の女王が中国に使いを出したとの記載
もっと言えば
神功皇后39年に「魏志によれば『明帝の景初3年6月に倭の女王が使いを送り、郡に至りて天子に朝献する事を求めた。太守は役人を派遣し洛陽まで連れてきた』という」とまで書かれている
そもそも日本書紀の主張する神功皇后の在位年を西暦で換算すると170~269年て事になるからね
んでもって崇神や百襲は紀元前になっちゃう(ありえないけどね)わけだから編者に百襲を卑弥呼と混同させる意思が無かった、むしろ別人にしようとしていた事がわかる なんで関西から一枚も魏鏡が出てこないんや?
卑弥呼の時代と思われる土器とかでないんや? >>22
だからワイは日本書紀には嘘が書いてあると思ってるで
日本書紀の編者らは、卑弥呼と神功皇后とを結びつけたかったんや
夫も身寄りもなく天皇の直系祖先ではない百襲姫が初代大王で、しかも民を惑わすと言われた鬼道ばっかりしてて、それでもって中国に朝貢してて、肝心の崇神は卑弥呼に仕えていた。
なんて事は絶対認められないから神功皇后の活躍時代を卑弥呼の時代にズラして滅茶苦茶な時系列になっちゃった(三国史記と比較すると100年ものズレ)というわけ 畿内の立地は素晴らしい
まず、古代は今と違って日本海貿易が盛んであった。
その日本海日本列島沿いを北上してると放っておいても若狭湾に入る(背後に琵琶湖地峡がある若狭湾は日本海の風が若狭湾から琵琶湖に吹き抜けているため)
そこから南下すれば畿内の地だ
そして古代倭国内部の交易路の役割を果たしていたのは瀬戸内海。
両方にアクセス出来る畿内邪馬台の物流はバッチリ
んでもって瀬戸内海東部沿岸には、大阪平野播磨平野讃岐平野岡山平野と農業生産しやすい=人口増えやすい平野が集中している
ここが2世紀以降急速に発展し九州を追い抜くのも当然だったのだ で怡土でクソでかい銅鏡とかその他が大量に出土してるのは誰のなん? 確かその世界で物凄く有名かつ力ある学者が九州押ししとるからごちゃごちゃしとるんやなかったっけ🤔 >>19
あるやろ
倭国大乱後の初代王が、天皇でなかった事がわかるのは大きい 魏志倭人伝もガバガバやしもうこの先決着つくことなんてないやろ >>30
安本さんだっけ?
箸墓古墳の造成年代が早まったことで九州説は完全に破綻したけどね そういうのを断定しないのが歴史ロマンってやつやろ?☺
畿内説も北部九州説もおもろいやんけ、それでええやん いずれにせよ先に人が定住したのはどう考えても九州やから九州説でええと思う どーせ何が出土してこようがお互い反証しあうだけだから
タイムマシンでもない限り永久に決着つかんやろ >>36
高度な製鉄鍛冶技術を要する長刀が最初に普及したのも九州っぽいしな
1~2世紀初頭までは日本最強勢力だったと思うで
けど古墳時代に日本全体へ渡来人がやってきて技術力は均一化し、平野部が多い瀬戸内海東部沿岸地域がマンパワーで押し勝ったと 橿原遺跡とかは残念やけど邪馬台国ちゃうで
でも大和朝廷にとってはめちゃくちゃ大事な遺跡には変わりない
今まで神話とかお伽噺って思われてた欠史八代の存在を裏付けるかもしれん重要な遺跡や
日本板トロイアや >>33
副葬品からシャーマンが埋葬されてる可能性あるけど謎に軽視されてるねんなこの遺跡 >>41
せやで
日本書紀は神功皇后が卑弥呼と主張したいみたいだが、明らかに滑稽だわな
他国の史書と照らし合わせたら一瞬で時系列おかしい事が分かる なんで邪馬台国なんや?
大和国と訳さない理由がわからん 司馬懿の権威付けのために邪馬台国の記述をちょっと誇大にしたせいで、
現代日本人がアホみたいに論争するハメになった >>46
他の地名はどうやって説明する?
畿内説なら説明できるで
已百支對馬[ツスマ]國→対馬
一支[イキ]國→壱岐
末廬[マツロ]國→松浦
伊都[イツ]國→糸島
奴[ナ、ヌ]國 →那珂
不彌[プミ]國→宇美
投馬[ヅマ]國→但馬or出雲
邪馬臺[ヤマドゥ]國→ヤマト
狗奴[クナ、クヌ]國→久怒(山梨から呉の年号が記された銅鏡出土)
斯馬[シマ]國→不明
巴百支[パパキ]國→不明
伊邪[イヨ]國→伊予(愛媛伊予市)
彌奴[ミナ、ミヌ]國→美濃
奴古都[ナコツ、ヌコツ]國→額田
對蘇[ツソ]國→土佐
蘇奴[ソナ、ソヌ]國→讃岐
鬼[クィ]國→紀伊
巴利[パリ]國→播磨
支惟[キグィ]國→吉備
華奴蘇奴國←和奈佐(徳島県) 右翼なんかは畿内説は都合が悪いから九州説論者が多いのかな? 【日本書紀崇神紀】
>七年春二月丁丑朔辛卯、詔曰「昔我皇祖、大啓鴻基。其後、聖業逾高、王風轉盛。不意今當朕世數有災害、恐朝無善政、取咎於神祇耶、蓋命神龜以極致災之所由也。」於是、天皇乃幸于神淺茅原、而會八十萬神、以卜問之。是時、神明憑倭迹々日百襲姫命曰「天皇、何憂国之不治也。若能敬祭我者、必當自平矣。」天皇問曰「教如此者誰神也。」答曰「我是倭国域內所居神、名爲大物主神。」
崇神天皇は言いました。
「私の世代になって、よく災害がある。おそらく良い政治が行われていないから、神祇が咎を与えているのではないか。
どうにか命神龜をして災いを起こす理由を見極めよう」
天皇は神淺茅原に行って、八十萬神に占いで問いました。
このときに百襲姫命が憑して言った。
『天皇よ。どうして国が治まらないことを憂うのか?
もしも私をよく敬い、祀れば、必ず国を平穏にしよう』
崇神天皇「あなたは、なんという神ですか?」
百襲(憑)『私は倭国の域内にいる神、大物主神である』 【日本書紀崇神紀】百襲の予言&忠告
>大彦乃還而具以狀奏。於是、天皇姑倭迹々日百襲姫命、聰明叡智、能識未然、乃知其歌怪、言于天皇「是武埴安彦將謀反之表者也。吾聞、武埴安彦之妻吾田媛、密來之、取倭香山土、裹領巾頭而祈曰『是倭国之物實』乃反之。物實、此云望能志呂。是以、知有事焉。非早圖、必後之。」
大彦命はすぐに帰り、詳細に見た事(少女が変な詩を歌っていた)を百襲姫に報告しました。
天皇の大叔母の百襲姫は聡明で物知りで、【未来の事も分かる人】です。
彼女は歌の怪(シルシ)を察知して、崇神天皇に忠告しました。
「これは武埴安彦が謀反を起こす表でしょう。私が聞いた所によると、武埴安彦の妻吾田媛は密かに倭の香山に来て、土を取り、領巾の頭に包んで呪いを掛けて『これは倭国の物実』と言って、帰って行ったのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています