NHK大河「鎌倉殿の13人」“劇伴”への違和感…音楽にもウソが通る社会が反映される|三枝成彰の中高年革命(日刊ゲンダイDIGTAL)

外国では政治家がウソをついたら、途端に方々から批判を受け、その座を追われるものだ。政治家は時にウソをつく必要があることも分かっている。だがそれが許されるのは“ウソも方便”の場合だ。
「責任は俺が取る」と言いきれる人でなければやってはいけない。政治家が国民に対して大風呂敷を広げることはあっても、欺くことは決してあってはいけないのだ。

子どもの頃にウソをつくと、決まって大人から「ウソつきは泥棒の始まり」と叱られた。しかし、総理大臣までが平気でウソをつく世の中になっては、私たちは今の子どもたちをそう言って戒めることもできなくなった。