大学卒業後は芸人を目指していたが、当時の相方と「社会人を1年だけやった方がいい」ということになり、1年後に一緒に会社を辞めてNSCに入る約束をし、アナウンサー試験を受け始める。アナウンサーを志したのは、子供の頃から喋ることが好きだったことに加え、親の勧めも理由だった[11]。最初に受けたのはフジテレビで、最終試験まで残ったが不合格になり[14]、その後大阪、名古屋、九州、北海道と10社ほど受けた後[15]、広島ホームテレビにアナウンサーとして2008年に入社(同期には小嶋沙耶香)。一方、当時の相方は一流企業に就職し収入が安定しており、約束していたNSCへの入学を断られる[6][16]。西村は、アナウンサーになったのも仕事の経験をお笑いに活かせたらと思ってとのことで、入社する時にはこれで芸人になれると期待を膨らませていたほどだった[17]。さらに、東日本大震災で知り合いの家族が亡くなったと聞いたことをきっかけに「俺もいつ死ぬかわからんし、後悔する人生は送りたくない」と改めて思い出し[16][18]、2011年3月31日付けで3年間勤めた同局を退社。同年4月以降は再び東京に拠点を移す。

東京NSC17期生となり、2012年に相方のきょんを誘って「ラフレクラン」(2021年より「コットン」に改名)を結成し、現在に至る。


いや「社会人経験しておいたほうがいい」で局アナなれるのチートやろ
もうそっちやってればええのに