先述のカップ麺論争にも登場したワードだけれど、ここ数年、「本当の貧困」という言葉が表すものについて考えさせられることが多い。

 こうした言葉を使うのは多くの場合、困窮に喘いでいる人に対して、第三者的立場、つまり赤の他人であるにもかかわらず「この人の苦しみは本当のものであるか否か」を勝手に見定め、ジャッジし、「偽物」だと判断した相手に対しては徹底的に攻撃をはじめるような人々である。

彼ら彼女らは自分たちが認める「弱者」以外には残酷なまでに厳しく、そこにある困窮の実態や福祉介入の必要性を完全否定し、さらには権利や声まで奪おうとする。そしておおむね、このような「貧困ジャッジマン」たちは生活困窮の当事者ではなく、いわゆる中流階級以上の人たちだ。

ワイらは中流以上だったのか