【真実】古事記って江戸時代まで半分偽書扱いだったんだよ。古事記の真実をこのスレで伝えたいと思う
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『古事記のおかしなとこ』
①勅撰史書であり和銅5年に天皇に奏上された(と古事記序文は自称している)筈なのに、正史とされる「日本書紀」や「続日本紀」には古事記のコの字も出てこない。
②天武天皇が編纂命じた(と古事記序文で自称している)筈なのに推古天皇[~628]の代までしか書かれていない。
③先に『古事記』が出来た筈なのに、「日本書紀」と天皇の没年齢が一致しない致命的なミス。
→日本書紀の編者は古事記を参考にしていない?
④『古事記』は、勅撰史書の筈なのに【無官】で日本書紀や続日本紀に登場しない謎人物「稗田阿礼」が編纂している。
(1)本当に太安萬侶が文学性豊かな『古事記』の撰録者であれば全4500種が集まった『万葉集』の歌の中に一首ぐらい彼の歌があって当然だと思うが、無い。
(2)稗田阿礼も日本書紀や続日本紀に登場しない。 古事記は712年に完成したと自称してるだろ?これ嘘
620年と800年の二段階を経て完成してると思う タイムライン化しました
【おそらく古事記の辿った歴史】
○[真]西暦620年
蘇我馬子らが「天皇記(当時は天皇号がないので正確には『大王記』)」を編纂する。
○[真]西暦649年
蘇我倉山田石川麻呂[改新政府右大臣]さんが誅殺される。
重要な「好書=天皇記の写本?」を遺す。
●[偽]西暦712年
稗田阿礼が暗誦、太安万侶が編纂し「古事記」が完成。と古事記の序文に書かれている。
○[真]西暦800年前後
日本書紀講師の多人長さん、講義に使える参考書を探してる間に「天皇記の写本?」を発見
( ゚д゚)ハッ!
正史と全く違う記述に仰天&豊かな神話に感嘆し、自家の権威付けのため利用してやろうと考え付き先祖の太安万侶を編者とした序文を追加。
藤原の権勢が振るわれる世情を鑑み、ある程度正史と整合性取れるように修正。
○[真]西暦812年
「古事記」の存在が初めて他文献(弘仁私記序:多人長さんが講義)に記される。
《紆余曲折、秘書扱いで近衛家書庫に封じられたり偽書扱いされたりでずっと不遇...》
○[真]西暦1798年
本居宣長が「古事記伝」を完成させる。
彼が古事記を称揚した事により評価が一変し、史上初めて日本書紀と並び評される神典として祭り上げられるようになる!! 古事記の神話、日本人がずっと昔から受容し続けてきたと思われがちだが江戸時代に本居宣長が称揚するまでは軽視されてました
両部神道でも山王神道でも日本書紀しか使われません
一条兼良『日本書紀纂疏』(代表的な日本書紀注釈)なんて、旧事本紀引用27箇所、古事記引用【1箇所】ですよ
日本書紀>>先代旧事本紀>>古事記って扱いだったわけですね 詳しそうやから聞きたいんやけど慶長5年9月28日付本多正信書状の翻刻教えてくれへんか 書いてあることが違うという以前に
滅茶苦茶大事なことが日本書紀に書いてあって古事記には全く書いてない
・磐余彦と長髄彦の最終決戦。古事記だと勝敗不明。
・景行帝の西征。そもそも日本武尊が荒らし回った所を再度蹂躙する書紀の所伝が意味不明。
・武烈帝の乱行。古事記だと記載なし
・崇峻天皇暗殺。古事記には記載なし
たぶん他にもある筈。知ってる人いたら教えてほしい 太安万侶って墓見つかったんですけど火葬されてるんですよ
つまり熱心な仏教徒
これも古事記作者っぽくないよね 稗田阿礼と太の安まろ確かに高校日本史レベルでも古事記でしか出てこなくて違和感あったわ
古代ってなんかそれこそ万葉集に残ってたり有名な人は他のところでも出てくるイメージ
こんな陰謀論みたいなあったんやなぁ >>7
すまん、近世日本史は知らない。あんま興味が湧かない 物部氏が書いたのが原「先代旧事本紀」
蘇我氏が大いに関わったのが原「古事記」
藤原氏が大いに関わったのが「日本書紀」
って感じだと思う ワイ上代文学専攻やけどそのような定義に関わる話は一切なかったな
研究が進まんから 不比等(史人)が日本書紀までの歴史をいったん抹消した説はどうなんやろな
少なくとも正史を編纂するという名目で日本史を自由に改変できる立場だったのは事実やろが >>12
そうか残念や
関ヶ原の直後秀頼・淀殿からの許可を得てようやく家康が大坂城へ入城することができたことが書かれてるらしく原文で読みたかったんやが でもおかしくない?日本書紀の成立って720年とかやろ
古事記が実は800年って言うならむしろ日本書紀の記述参考にできて数字とか合うんやないか? >>19
古事記は620年[推古天皇の代に作られた原古事記]と800年代初頭[大人長の再発見]の二段階
大人長は【ある程度原古事記の形を残した上で】序文を追加したり世に出せないような記述は消したのだろう >>19
昔は西暦基準じゃないから割と時系列はあやふやなことが多いで
中国の史書ですら本紀と列伝で違ってたりすることもあるし >>20
昔の本で原本なんか残ってるはずないからね
みんな写本やで。別に古事記に限ったことじゃない >>24
言ったもん勝ちなところがあるから、割と言いたい放題の奴がのさばってて面白いで
史料の少ないころなんて何とでも言えるからなあ 多人長はやまと言葉の読み方に力入れて指導してたみたいだから、多少の修正くらい容易いやろ 稗田阿礼が何もんなのかサッパリわからんのはまあわかったとしてだからおかしいってのもよくわからん イッチはオカルト板か日本史板かどっかから来たんか? そもそもすべて脚色やしな
言ったもん勝ちやったんや >>23
それは記載年が何年かズレてたりするよくあるやつの話やろ
今は成立年代の考察の話やからほとんど関係ないで 先代旧事本紀はなんでもかんでも饒速日に結びつけてるから饒速日を祖神とする物部が書いた物が元ネタ
古事記は崇峻天皇暗殺記事が書かれてなかったり葛城氏と蘇我氏を結びつける工作が成されてたりするので
蘇我馬子が推古の時代に完成させた天皇記とかが元ネタ
日本書紀はいわずもがな藤原の影響が大きい
って所だろう >>29
それだけでは根拠薄弱だと思ったから、他の理由も挙げてみました 一般に日本書紀は正式な漢文編年体で外国向け
古事記は変体漢文だから国内向けなんて言われるが失笑物でしょう
それで、天皇の没年齢が違うことや古事記に推古天皇の代までしか書かれていないこと、日本書紀や続日本紀に古事記が一切登場しない事をどうやって説明するの?
もしどっちも勅撰史書なのに書いてある事違うのだとしたら、どっちかの信頼性が損なわれることになるよね
そんなことする? だって三河物語や徳川実紀も勝者側で歴史ネジ曲げてるし 古事記が国内向けで日本書紀が海外向け!だから同時並行で2つ勅撰史書作ったんだ!
じゃあなんで日本書紀は完成直後に勉強会した[続日本紀]のに古事記は一切そういう記述ないの?
なんで古事記は秘書扱いされたりしたの? >>32
言うても、基づいている史料が違えば内容が違っても当然のことやないの
少なくとも古事記の編者は日本書紀との整合性は気にせんかったということやろな
どっちが古いとか正しいとかは分かりようもない 古代は曲解や妄想の余地が無限大でそういう楽しみ方もあるんやなって勉強になったわ >>1
大石凝真素美って知ってる?
ネットにはほとんど情報ないから知らないと思うけど こいつ邪馬台国がどうとかいうスレ連日立てて相手にされてなかったやつだろ >>41
アフィじゃないよ
ただ真実を伝えたいだけなんだわ。そこかしこの板で立ててる ええスレや
ワイも古事記は偽書やないか思うとる
ブックマークして落ちても後で見させてもらうで >>42
古事記の編者じゃなくて日本書紀の編者だろうね
原古事記の編者は600年代初頭の人物だ >>39
三河物語は大久保彦左衛門の性格もあると思う
立花宗茂の記述見ても分かるけどほんと偏屈で嫉妬深いし
実際同時代の人で宗茂の悪口言ってのって彦左くらいしかいないし >>25
引用で古事記の存在が知られるはずが
それが古事記は長い間無いんや >>50
時代も違う
古事記の方が(正確には古事記になる前の原古事記)日本書紀より圧倒的に、それも100年ほど古い 古事記は偽書。と言ってるわけではないんだよな
まず原古事記が620年に完成してて、それを多人長が再発見して修正を施し古事記完成。みたいな? >>46
「真実」ってバカしか使わないからやめた方がええで
近代の史料に基づく事実とそこから古事記は怪しいっていう感想並べたら普通に面白いと思う >>58
古事記を偽書だとは思ってないよ
ただ上書きされてると思ってる。特に序文 >>40
日本書紀の勉強会して訂正を要求されるような大きな異義が出んかった
いうのも重要なことや >>57
大陸に東の蛮族の歴史なんてあるわけないやろ
朝鮮ですらギリやぞ
日本書紀は中国の史書を参考にしてエピソード移入したりしとるけどな 古事記に書いてあること、あれ嘘ですw
イッチはひろゆきにでも憧れてるんかな?😅 言いたいこと言って終わりネットあるあるやな
都合の悪いレスは見えない議論じゃなくて語りたいだけ
説得が目的なのに挑発をする
ズレた人間が集まるのが匿名サイトやTwitter中毒者だな 昔の書物ってだけで価値あるだろ
大半は焼けたか無くなってるのによ なんでこんな後になるまで史料出来なかったんやろ
中国とかから歴史書文化入ってきそうなのに 日本がどんぐり食ってた頃大陸じゃ6000万もの人口を把握してた 何言ってるか分からん
古事記っても元からガバガバファンタジーなんだから整合性合ってなくてもでもええやん 蘇我氏が負けたの結構歴史を知る上では痛いよな
貴重な資料が >>71
一応史記から本土の歴史に絡めてチョイチョイ登場してるはず
まとまって出てくるのは魏書馬韓伝が初やない?
自前となるとやっぱり三国史書かなあ……これは1100年代で結構遅い上に
露骨に新羅中心史観で評価の分かれる書籍やと思う 公文書偽造が平然と行われそれを咎める者は与党の叩き棒くらいにしか使ってない野党とマスコミだけで国民は興味すらない日本やぞ >>84
なんでそんなに最近の歴史しか残ってないんや
古代の半島って日本より進んでたんちゃうんか 天皇陵パチモン説ってどうなん
中身も盗掘されてとっくに空っぽだとか >>76
東夷伝はともかく地理志なんて参考にしてるとは思えんぞ
そもそも分量としてどうなん >>58
まあそういうことやが
天皇が編纂を命じた書いうのがウソで
作者が願望を書き連ねた書いうことや
日本書紀とは異なる所が結構ある >>71
朝鮮半島北東部に住んでた「濊」て人たちが虎信仰だ。と魏志濊伝に書かれてる。
これが後に檀君神話へ繋がっていくのだと思う 神武天皇以前は出雲歴なんだろ
意図的に消された歴史がある あんなファンタジー小説の研究に生涯捧げてるやつがうじゃうじゃいるという現実 古代朝鮮諸国って国名が~盧とか~羅で終わるのが滅茶苦茶多い
ひょっとすると「~ラ」が古代朝鮮語で「国」を意味していたのかもね >>85
公文書偽造みたいなもんか?
いや公文書であると偽り中味は偽造の古事記
そう判断するに足る状況証拠があるってことや 日本書紀だと日本武命
古事記だと倭健命
つまり「日本」が「倭」表記
また日本書紀だと磐井の乱首謀者が筑紫國造(乱が起きた当時はまだ國造なんてない)って脚色してるけど、古事記は筑紫「君」とちゃんと書いてる
古事記の方が明らかに、しかも圧倒的に古いっすね 隼人とか熊襲が気になるわ
そもそも天孫降臨ってこの辺の民族がいた場所やろ? 稗田阿礼とかいう性別もよくわかってないやつが暗誦したものとか全く信頼できないよね インドからディアスポラしてきた古代出雲族が作った王国を
景教を信じる太秦系の士族が乗っ取ったのが日本でしょ
龍神信仰が消され天道様(ヤハウェ)信仰に取って代わられてる >>82
蘇我氏って結構マトモだと思う
中臣&天智コンビは一時亡国寸前まで国を追い込んだはず >>92
天皇記や国記は日本書紀で存在が確かめられるけど
古事記なんて一字も出てこんのや
その後も長い間触れられもせんかったんや >>89
それをワイに言われてもなあ……
良くも悪くも半島は本土への従属性が強すぎて、自前の歴史って感覚が薄かったんちゃうかな
新羅時代に律令制が定着したはずなのに、なんで史書が書かれなかったのかはよう分からんわ >>107
調べたら八幡がヤハウェとか言い出してる記事あるけどありえんやろ 【天武が政権握るまで大雑把に妄想解釈】
まず蘇我氏が全方位外交繰り広げてまあまあ上手くやってた(船原古墳から、蘇我氏は新羅とも仲良くやってた事が分かってる)
けど中臣&中大兄皇子(天智天皇)が蘇我入鹿を暗殺し【百済一辺倒外交】を展開。
唐との無謀な戦いに臨み派遣軍全滅。
で天智朝は白村江の戦いで完敗してから求心力失い豪族に妥協しまくって部民制復活(甲子の宣)させたり無茶苦茶な近江遷都で放火が相次いだり謎の唐軍2000人の上陸も阻めないで受け入れる様なレームダック政権になる
そんな天智朝を武力で(壬申の乱)ひっくり返したのが天武天皇
即位後直ぐに豪族が就いていた大臣職を全部皇族に入れ替える親政を開始
八色の姓で抵抗勢力は左遷&協力者を顕彰
国号を『日本』に変えたのも天武
『天皇』号使い始めたのも天武
五畿七道に分類して行政し始めたのも天武
伊勢神宮に社建てたのも天武
現人神扱いされたのも天武が初めて(柿本人麻呂の歌)
大嘗祭始めたのも天武
そんな天武天皇に編纂を命じられたのが
日本書紀 前のスレ立ててたなイッチ
世界史ならかなり話せるんやけど日本史やと完全に聞き手に回ってまうわ
勉強したいのは山々やが時間が取れへん 日本の古典ってロマンはあるけど
正直これ以上新情報が発見されるわけないし、解釈とか想像でしか議論できない不毛な分野だわ
あるとしても古墳発掘でボロボロの工芸品が出土するかもくらいだよね 日本史とか全然分からんのにスレ開いちゃう現象なんなんやろな >>110
五十音みたいに発達した表音文字があったとか言い出したのは16世紀からやな
ハングルパクったんじゃね?
そりゃ古代にも絵文字くらいはあったろうけど、高度なもんはないやろ >>114
八幡がどうかはともか
お天道様はミトラ教の神様で
ヤハウェと同一と考えるのが自然でしょ
古代出雲族の信じる蛇が青銅の蛇と同じかはともかくな >>18
早朝に安土桃山期の文章貼ってたのって君か? 任那・百済系が長らく日本の歴史の中での主流派閥で、
蘇我氏の試みた新羅重視(ないし全方位)の外交は当時として異端だった可能性はあるわな
最終的には流血沙汰に至って、劣勢の百済に武力介入まで試みるもあえなく敗走
これで百済系渡来人を中心とする対朝鮮介入派閥はいったん後退し、
天武天皇を中心に大陸・朝鮮から距離を置く大和派とでも言うべき集団が出来た
独自の律令・史書の作成も大陸から距離を置こうとする姿勢の現れ
そういう解釈を見たことがあるし、まあ凡そ実態を現してるんやと思う 秦氏は辰韓(今の韓国東部)から来たと言われている。
で、辰韓ってのは秦の時代に中国人が大挙して朝鮮半島に逃亡して(万里の長城建設で逃げてきたりしたのかな?)移民先で「“秦”韓」を自称したのが名称の由来だとか。
実際に風俗言語も中国人に似てたとか書かれてる
新羅伝 「新羅者、其先本辰韓種也」「其言語名物、有似中国人」
だから朝鮮から来たはずの秦氏が秦帝国の末裔自称してるってわけだよね 狛犬と獅子がエンキとエンリルなのも有名な話だな
皇室の古い紋章にもロスチャイルドの紋章にも描かれてるそうな
(昔は狛犬にはちゃんと角があったのに)
あとエンキとエンリルは女神に使える神様だからね
神社が祀ってんのは女神
人類の祖は母であり聖母
これグノーシス写本のキリスト教と同じ
決してあばら骨なんかじゃない >>104
有力説
熊襲=肥
隼人=薩
天孫降臨=熊襲と日向の境(北の高千穂峡)
天孫降臨=隼人と日向の境(南の高千穂峰)
天孫族と隼人族は先祖が兄弟(天孫=山幸彦 隼人=海幸彦)
ちなみに熊襲に敗れ戦死した仲哀天皇の本陣は大宰府の南の筑後平野北端 古代が中世よりグローバルなのが不思議だ
日本が孤立しがちなのは日本海横断が難しいからと聞いたことあるが古代の技術が中世では失われてしまったのか? >>121
ミトラ教ってイラン由来の宗教じゃないの?
ミトラってゾロアスター教のミスラであり仏教のマイトレーヤでもあるわけ(弥勒菩薩)やろ
いうほどヤハウェ関係あるか? 元を辿るのは言葉って学んだから秦イスラエル地域説みたいなんは全く信用せんわ
なんも言葉に繋がりがない >>128
バベルの塔が神の怒りに触れたという話からもわかるように
ヤハウェは太陽神
平たく言えばお天道様であり
祖先神は太陽神ミトラス >>89
大陸は別の民族で争いまくりで記録無くなる可能性なんていくらでもあるやろ >>127
半島伝いでしかロクに行けなかった古代と違って中世は直接大陸と交易してるわけで、
別に技術が消えたとかそういう話ちゃうやろ
事実上唯一の隣国である新羅とは事実上断交してたんだから、
その辺の時代の外交史がペラッペラなのはしゃーない >>127
昔の倭国は畿内から朝鮮半島南岸にかけて瀬戸内海や日本海を使って貿易しまくる海洋国家だった
だからこそ都は畿内より東に置けなかったわけやな(それ以上東に行くと瀬戸内海運が使えなくなり不便な都になる)
けど白村江の戦いで惨敗して日本列島内に閉じ込められてしまったんや
代わりに朝廷は新たなフロンティアを内陸に求め東国経営に本腰を入れて、東北エミシらを全力で征伐する様になるわけやな 世界の神話のベースは傲慢な地上の神様と天上の神様つまりお天道様ってわけ
分明が散らばる前からある神話 そもそも古事記も日本書紀も神話ルーツにした適当なもんやないん?
史実的に価値もなければよくある俺らの国スゲー的なオナニーやろ? >>130
ミトラって元々ヴェーダ(インドイラン)の神だから、アブラハムの宗教とは根っこ違うと思うよ 本当の歴史は天皇家が口伝とかで継承していたんじゃないかと思ってるけど南北朝や明治維新のゴタゴタで消失してそう >>137
少なくとも日本書紀は基になった歴史書についての記述があるし
何なら一部には注釈があって「別の歴史書ではこんな意見もある」とか書いてあるで
ある程度の体裁を整えた内容だったのは事実や
昔が神話なのは史記だって変わらん >>125
ロスチャイルドの盾に描かれてるのは鷲と獅子やが
サポーターは大して意味ないし 対馬壱岐の存在感デカかったのはわかる
半島との間にあるしな
淡路島の存在感が大きいのも島サイズと畿内に近いことから当然
佐渡の扱い大きいのは金山があったからかね?
古代において越のさらに向こう側にある島なんてかなりの辺境な気がするが ヤハウェって、ウガリット神話のエール(イル)さんが元ネタの一人っぽいよ
旧約聖書において主は
「私はエル・シャダイだが、途中からヤハウェと名乗る」
と宣言してるからね 最高神エールに、出エジプトしてきた一行の宗教が合流した結果誕生したのがユダヤ教だと思う ウガリット神話ってなんだよって思ったらこんなのあるのか…
英雄神バアルなる言葉があったがこれはカルタゴとつながってんのかな 『豊穣神バァル』vs『最高神エール』
①古代セム宗教
ウガリット神話に登場する神で、世界を創造したとされる『最高神エール』ですが
彼は畏れ多すぎて民衆から信仰の対象となりませんでした
一方で、食べ物や生殖を司る『豊穣神バァル』の人気が庶民の間で盛んになり、次第にエールは無碍にされるようになります
(※日本も、今でこそ天照こそ至高!みたいな感じだけど江戸時代は伊勢神宮外宮の食べ物の神、豊受大神も大人気だったよね)
なんと神話の中でも最高神の筈のエールがバァルに虐められまくる(妻寝取られる、去勢される、宮廷から追放される)始末
このままでは、エール信仰が完全に淘汰されるのも時間の問題だったでしょう 日本書紀の出典元になってた本ってなんやっけ
蘇我氏の書庫で燃やされたんだよな
これ残ってないの痛すぎるやろ >>142
ユニコーン(狛犬)と獅子おるやろ
紋章学で盾以外は意味ないとか言うやついるが
意味がない紋章なんてないから
むしろ西欧で使いまわしされまくって陳腐化するほど伝統的な意匠がユニコーンと獅子で
これが古代日本にもちゃんとあるという
重要な意味があるでしょ ②ユダヤ教
牧畜移動生活をしていたヘブライ人、バアル信仰していた定住民と度々衝突します
また、定住民たちが豊穣神を祀る祭祀で乱交裸踊りしていたのを見て震え上がります
移動牧畜民の目には、後先考えない小作りは野蛮な行為に映ったのでしょう
なので彼らは厳格な最高神『エール』を主神にしました。
そしてバアル教徒を目の敵にしてバアル神をベルゼブブと罵倒します。旧約聖書でもバアル教徒は皆殺しです。
後に出エジプトしてきた集団が合流し、教義がさらに厳格化され神の名前も上書きされ『YHVH』になりましたが、その名前はみだりに唱えられないので、忘れ去られてしまいます
③キリスト教
ヘブライ人は定住生活に慣れて堕落したので、人々は豊穣神を求めるようになりました
そこで現れたのがジーザス(jesus christ)
体からパンやワインを生み出すとかいう、ヤハウェが目の敵にした筈の【豊穣神的な感じ】の救世主が現れ崇拝され始めてしまいます
新約聖書の神の性質も「嫉妬する神」から「愛と憐れみの神」に変貌してしまいました。
エールさんは結局豊穣神に敗北しちゃって、さぞ無念だったでしょう。 ワイは邪馬臺国は畿内説だから、ただ逆張りしてるわけじゃないで >>153
おもろいな
ベルセルクで邪教が乱交してるのここら辺が元ネタか >>152
ユニコーンはスコットランドでライオンはイングランドってだけでしょ
それにその皇室の紋章って多分そんな古いもんじゃないと思うけど なぜ神の名前を上書きする必要が?
尊すぎて名前言えないから時間経つと忘れてしまったという部分は理解できるが >>149
もし燃えてなかったとしても前時代の支配者に都合よく書かれた史書なんて上書きされてしまいますよ 邪馬台国畿内説だと吉野ケ里とかあの辺りのデカい遺跡群はどんな国やったんやろ なんでこんなガチな研究をなんGに書くんや
しかし古代史はロマンあるな >>160
吉野ケ里は分からんな
ただ吉野ケ里より圧倒的にデカい、那珂遺跡群が福岡平野にあるんやが
これが奴国だろうとは思うよね
金印もすぐ北の志賀島で見つかっている様ですし 王朝が変わったから以前の国書が焚書されたのは事実なんやろ? 陰謀論的なスレかよとスレ開いたらなかなかおもろいな
wikipedia見たら昔から序文は偽書説はあるんやな >>153
乱交パーティどころではなく
人身御供や寡婦焚死みたいな野蛮な風習がバアル教徒の風習としてあった
日本の神話から消された歴史もおそらくこれに違いないよ 奴国は都市計画に基づいた先進的な街を持ってったっぽい
しかも纏向の100年前には都市が完成してる。1~2世紀は日本で一番の先進国であった筈だ
https://i.imgur.com/7lO50d7.jpg 邪馬台国畿内説とか現実的じゃないだろ
あの時代に畿内にどうやって安定して使者交換できるねん
敵国通ってどうぞどうぞしたとでもいうのか >>160
吉野ヶ里が邪馬台国の中心か主要な一部
みたいに思われていたこともあるし今も思う人もいる
あの時代好きなら一度は行ってみた方がいい佐賀の吉野ヶ里
広いし色々大きいしロマンあるよ >>6
普通日本史テキストの目次で藤原連打されてるの見て世界史を選ぶよね >>156
一神教以前の宗教はそんなもんや
古代ギリシャのデュオニソス神とかそうやろ
狂ったように信者が踊って殺し合ったりしてたらしい >>166
ワイは偽書と主張してるわけじゃないんやけどな
むしろ「古事記(正確には元ネタになった原古事記)こそ断トツで古いんだぞ」と
「712年どころか620年だぞ」と言いたい >>165
日本においては完全な政変はないから、それはどうやろなあ
少なくとも日本書紀がちゃんとした歴史書として初の試みだったのは間違いないやろ
帝紀や旧辞にしても、口伝説もあるくらいやしあまりまとまった内容じゃなかったんちゃうか >>164
あの辺はほんまロマンあるな
筑後川とその一帯は九州には珍しいかなりの平野やし、大陸との交易ルートも近いしかなりの規模の都市が乱立してたやろな >>170
伊都国に一大率が置かれたって書いてあるやろ?これ太宰府と同じ様な役割だと思うわ
あと女王国と邪馬臺国も別だと思う 江戸時代まではっていうけど価値が見直されるきっかけがあったから今の立ち位置になってるんちゃうか? 話ズレるけど時代が下るにつれて宗教から女性性が排除されていくのはなんでなんやろなぁ
ワイはずっと疑問に思ってる >>172
あの辺近場に割と古墳も多いしおもろいよな
鳥栖と基山のあたりの古墳たちすこ 北九州邪馬台国説を推す人が学者では多いんやろ
奈良県の学芸員やってる人もそうらしいやん
実際朝鮮と近くて出土品も多い九州じゃないのかっていうのは納得できるよな >>170
邪馬台国の位置を記した説明はあるけど
その国の女王が卑弥呼だなんて一言も書かれてないので
たぶんこれが大きな誤謬の原因 >>176
wikipediaによるとこういう意味で偽書ということらしい
なお「偽書」とは著者や執筆時期などの来歴を偽った書物のことであるから、その意味では序文が偽作であれば古事記は「偽書」ということになる。もちろん、その場合も本文の正当性は別の問題である >>182
自然宗教は母性的な宗教なんやで
縄文時代の遺跡にも集落の中心の墓があるようなところが存在するんやが
人が生まれる場所と帰って行く場所は同じっていうアニミズムで
そのドアになってるのが女性の子宮なんや
こういう多神教的・自然神的な神を抑圧した上に成り立ってるのが一神教なんやないの? 邪馬臺国の「官」に天皇っぽい名前の人物がいるのが気になる 歴史の話を真面目にするのにソースなしとかマジでなんの意味もない >>190
アンチ乙
なんJ時代からソースはウィキペディアでスレ完走させてたから 邪馬台国の場所っていつか証明がつく可能性あるんか?例えばなんか重大物とかが発見とかされたら 時代的に九州の支配者が朝鮮に行ってたと考えるのが普通やろ? >>188
その女性性の抑圧がなんで生まて強化されていったんやろって ちなみに今夜のブラタモリは対馬やぞ
対馬の古代の役割って相当なもんがあったやろな >>192
考古学の進歩が目覚ましいから
あと半世紀もすればなんかわかってる可能性はあるんやない >>182
世界的な宗教になると、論理性とか整合性が重視されるようになるからちゃうの
何となくええもの、とりあえずそんなものってままでは許されん部分が増えてくるんやろう
実際、向こうの宗教哲学とか見てると「そこまで理詰めせんでも……」って思う部分あるわ >>186
そうそうそれそれ
邪馬臺国の王は「官」と記されてるミマワキやイキマだと思うわ
なんで官とされてるかと言うと、王が二重に存在するということは魏の制度状あり得ないからやな
王を一本化するのが冊封体制だから、卑弥呼を女王認定した以上は諸国の王は官扱いせねばならんくなる >>196
はえ~でも具体的にはどうすれば証明になるんや?何が記述とか? 大和朝廷は畿内から西を全て平定して朝鮮まで行くスピード感ヤバすぎるやろ 九州の部族滅ぼして造船技術まで根こそぎ全部奪ったんか? >>182
古代宗教の集団の人数って数十人ぐらいか?それぐらいの規模だと母親を中心に据えた方が纏まりやすいんちゃう >>194
つまるとこ男の理想だからね
現実の女はさぞかしクソに見えたんだろう >>198
この頃は天皇の権威って一豪族と同等やったんかな
いつ頃権威が形成されたんだろう >>184
まあ普通に考えて支配してないと安心して中国に渡れんしな >>194
母権制(アニミズム)
↓
父権制(一神教)
の移行が起きてると思うんやけど
男系天皇じゃないといけない理由とかと同じなんやない?
イエを存続させるためには男が手綱を握った方が都合がええからな
家系図は直線的に進行する歴史を生み出して、それが史書となって後代への権威につながる
点在する家族が集住するようになって、政治制度が成熟していくにつれて
権威を求める国家や家系の要請に従って徐々に母権から父権へのシフトが起きたとか >>182
母への愛とか家族の絆とか
奴隷には不要だからでしょ
バビロニアやローマのせい
ほんと罪深いね 卑弥呼は巫女だよね
いや巫女が女王とかありえんだろって思うかもしれんが、逆に巫女だからこそ乱が収束しんたんだと思う
お互いに「お前が王になるのが許せん!」て感じだったから巫女立てて斎王にしたのだろ
実際、女王国は勝った国が一方的に作ったわけじゃなくて【共立】と書かれてる
つまり卑弥呼の実態は斎王であり、女王国の実態は同盟諸国 >>200
実際はゆるやかな連合体が作られて、最終的に大和に中心が置かれたということなんちゃうかな
昔の天皇家は豪族の中で頭一つ上くらいの扱いだったみたいやし、
天皇家に比肩しうる家格の家が百済なり九州なりにあったとしてもおかしくはない
それがどんどん婚姻で一つの血統にまとまり、最終的に権威として確立したんやないか
実際、どういう理由か知らんが天武・天智両方の血筋を引く人間でないと天皇になれんという
扱いだったみたいやから、その辺の事情が関係しとるんかもしれんね >>211
戦ってより婚姻でまとまってはめちゃくちゃ納得感あるわ 伊都国の官が爾支(ニキ=ニギ?)ってのも気になるな
これはニニギやニギハヤヒと同じ尊称だろう 昔ワイも日本史板やとボッコボコにされる珍説をなんJで披露して悦に浸ってたわ
懐かしい
稲作とかでまたやろうかな 文鮮明のアレは世界統一平和家庭連合
バビロニアやローマへのアンチテーゼそのもの
蛇=ルシファー=サタンだとはっきり言ってるし
実際にロックフェラーを何度も名指しで批判してるというね 本当にガチで自信あるなら論文書くだけのことやからな >>211
朝鮮とここまであの時代に連携してたのシンプルにすげぇわ
そもそも倭国は朝鮮にあったとかもロマンあってええな
今の天皇家とかめっちゃ昔の話とか把握してるんかな >>218
ワイ学部生(しかも法学部)だから、歴史の論文なんて書けないわ 渡来人ってガッツリ日本の歴史に絡んでて
古代史だと中心的な登場人物って言ってもええと思うようなレベルなのに
教科書だと扱いが控えめだよな
もっと色々わかるようになれば違ってくるんかな
今は蓋然性の高い推測みたいな部分が多すぎるとかで >>216
学問板やと立ち直れんぐらいボコられるよな
ああまた来たかってなもんや なんで研究者でもないのに適当なこと言い出すのか意味わからんわ
見る奴が見たら一発でガイジだとバレるのに 言語で歴史紐解いていくYou Tubeチャンネルおもろいわ >>219
ガチのマジで東北の古代史を葬った大戦犯なんよな……
馬場壇Aとか覚えてたの何やってん >>220
現存する史書以上のことは流石に知らんやろ
天皇家だけ知ってて門外不出の情報とかあるんか...? >>224
学会の中でも古事記序文偽造説は未だに根強いから、一発じゃ分からんやろ >>225
なんとかスキエンチアとかいう奴か
本業精神科医でちょっと頭イっちゃってそうな人だよな
日本語のルーツを本気で研究してて執念が怖い >>222
ルーツのほとんどが朝鮮にあると教えたくないのかもな
ぶっちゃけ朝鮮がなけりゃ土人国家やったわけやし >>209
ワイは専門家でもなんでもないけど、本居宣長は評価するで
昔から舶来信仰の強い日本人に「日本はすごいんだぜ」ということをちゃんと文献とか客観的に研究して示したん人と認識しとる
その後の本居宣長に影響されて日本すごいしてる奴の中には客観性とかない怪しげな奴も多いけど ローマが異端にしたグノーシスのほうが
本来のキリスト教なのは間違いないよ
ロシアの古儀式派もいっしょ
彼ら基本的に資本主義(借金奴隷制)を認めてない >>227
GHQの大仙古墳発掘の結果くらいは知ってそう 歴史なんて他国の歴史書と整合性がとれてるもの以外は全部参考程度やろ
安倍晋三みたいなやつが改竄しまくってる世界だと思った方が普通や >>231
ワイもほぼ同意見やな
そこから派生していった尊王攘夷ガイジとかがやべえだけで
本居宣長はガチガチの考証学者やろ >>225
言語ってマジで百代の過客よな
語源とか辿るのも好きやわ 「天(アメノ)日槍(ヒボコ)」
なぜ渡来人がこんな呼ばれ方しているのでしょうか、まず天(アメ)はかなり貴い尊称であったはずです。
実際、二代目天皇綏靖~奈良時代の終わりまで名前に「天」を冠しているのは天日槍ただ一人だったはず(違かったら教えてください) >>222
最終的に大陸と朝鮮の影響から離れて日本が成立したってところはあるから、
渡来人の影響が無意識のうちに切られているところはあるやろね
もっとも、日本人のDNA構造は間違いなく縄文人と大陸・朝鮮との混血を示してるから、
土着のもの全てが無価値だったということもないと思うわ >>235
実際古代エジプト王国の時点で
嘘も100回言えば真実になるが実践されてたことがパピルスに記されてるらしい
6代にわたってガイジ答弁しつづけた結果ゴリ押しで史実になったって 「記紀」は、ヒボコについて詳しくは記していません
しかしなぜ、天日槍は、新羅の王子としながら例外的に天津神である「天」の日槍とし、皇統である神の名が与えられているのでしょうか?
突如但馬に住み着いて、初代多遅麻国造に就く
ヤマトの政権のために何か役に立つことをしたとは記録されていない、これはあまりにも不自然で人為的に思えませんか
思えない? 日本書紀では、垂仁紀に天皇の徳を頼んで渡来してすぐに服属した国造として描かれるヒボコ
しかし播磨国風土記では、遥か昔の神代に渡来し伊和大神と大いに争った強大な渡来神として登場する
九州怡土郡(魏志倭人伝に記される伊都国の後身)の主は、祖先が天日槍であったと筑前国風土記に記載されている。
神功皇后も母方祖先が天日槍であった。と古事記に書かれている
記紀によれば彼は、太陽と女の間に生まれた女を妻にした。という朝鮮北部特有の日光感精神話を持つ人物
全く同じエピソードを持つ人物が都怒我阿羅斯等として北陸
いったい天日槍とは何者なのか? >>237
おもろいよな
人類の誕生から言語族分かれて派生していったの辿るのもめちゃくちゃロマンある >>236
そうそう、本居宣長はちゃんとした学者だけど
そのフォロワーの平田国学?とかいう一派はやべえ奴ら 日本語って簡略化されるまで難解な中国語みたいな感じやったんやろ?漢字伝来前でも話し言葉は存在してそうだけどな 大陸といえば台湾から与那国島へ古代の船で航海するの確か成功してたよな
南方ルートの文化輸入もそこそこあったんやろか 天日矛、ニギハヤヒ、天火明、似てるんだよな
この人たちだけが辺津鏡と沖津鏡持ってきてるしさ >>249
それが日本人のルーツだって言ったのが柳田國男の「海上の道」やね
四国の海岸沿いを歩いてたらヤシの実が流れ着いてるのを見つけたところから書き出される
ちなみに眉唾説らしいで
晩年の柳田のロマンが暴走しすぎたんやろけど >>247
平田篤胤は小説家として面白いからセーフ 大和朝廷の神武天皇が束ねたみたいな扱いやと思ってたけど違うんか そう捏造するようになったのが書いてからってこと? >>237
カガ ミ ハバ カカとかナワとか
日本どんだけ蛇好きやねんってなるわ >>249
もちろん高床式倉庫とかは南方由来でしょうね 現代のDNA研究では大陸ルートでやってきた狩猟民が先住の縄文人であり、
その後の新石器時代の大陸ルートの農耕民が弥生人ということが大体分かってる
海から来た人間が縄文人になったという説は残念ながらロマンどまりやね…… >>249
柳田なんかは推してたみたいやけどちょっと無理があるんやないか
精々流れ着いた極少数の遭難者が吸収された程度やろ 弥生時代の日本語を再現するってYou Tube動画おもろかったで >>253
いや古事記が信頼できないと言ってるわけじゃない
むしろ古事記の方が日本書紀より信頼できるかもしれない
とにかく、国内向けが古事記で海外向けが日本書紀だなんて陳腐な理由ではない 上代仮名遣いの使い方見るに奈良時代に書かれたのは確定だろ この時代の謎が解き明かされる書物が急に発見される可能性ってまだ残ってるんか?流石にキツイか? >>256
狩猟民が何万人こようが文明は起こらない
おそらく神話があったとしても残らないし
国も作られない
問題は文明を起こした少数の支配者側の人たちがどこから来たか >>255
東南アジアとかの湿気対策の一つが入ってきたんやろな >>256
じゃあ弥生時代が来るまでは日本には縄文人しかおらんかったってことなんかな
農耕しはじめてから混血が進んだと
ヤマト王権とか邪馬台国とか偉い豪族の奴らはみんな弥生系の血が濃かったんかな
ローマ人にとってのゲルマン人みたいに関東にいる縄文人はほとんど野人に見えてそうやな 常陸の国の古王国ロマンあって好きやわ
名前は忘れた 高床式住居は古代からあったかは知らんけど中国や南米でも見られるし自力で思い付けるんやないか? >>259
日本書紀は信用出来んよな
まあそもそも材料ないけど 縄文人って母系遺伝子から5グループくらいに分けられるんだっけな
北海道とサハリンやクリルにいた縄文人(G1b)
東北の縄文人(D10)
関東以南の縄文人(M7a,N9b)
で沖縄はM7aが突出してるから、M7aが南方系縄文人かもしれないみたいな? 古事記で一番好きなのはいきなりシモネタから入るとこ
男根と女陰好き過ぎやろ
祀ってるとこの数調べたら神社より多そう 嘘も百回唱えれば真実になる、これが祈りとお経の起源や このスレ開くタイプのなんG民はminerva scientia好きやろな >>261
なんで確定なんや?多人長は812年に活躍した人やぞ
しかも日本書紀講師としてやまと言葉の指導を重点的にやってた
多少の修正なら可能や 継体 天智天武 南北朝とか天皇の権威ゼロ時代は絶対王朝とか血筋入れ替わっとるよな 確定で天皇家だったのって平安と江戸から? >>271
そうやったかな
風土記見てたら各地方に色んな王国あったんやろなあってワクワクするわ >>221
学部生だとしても大学に史学科あるやろ?
もしなければ他大まで出向いて古代史専攻の先生に押しかけるのも視野に入れるべきや
ワイは古代史さっぱりやから君の唱える説の妥当性はようわからんけど熱意があるのはわかる >>280
そらそうよ
結局は考古学からわかる話とこうだったんじゃないかの妄想やろ
確かめようがない話だしな なんかの間違いで新たな出土とか文書が出てきたら簡単にひっくり返る 宗像三女神ってあるだろ
日本を紀元前に開拓しまくった人たちの集団が信じてるのがまさにインドの神様
出雲族にも鼻の長い動物の住む国から来たと伝承がある
弥生時代は彼らの独壇場 >>250
同一説普通にあったと思うよ
うろ覚えやけどなんかで読んだことある
特にホアカリとか >>283
先代旧事本紀に書かれてるニギハヤヒ=ホアカリ説よな 国記や天皇記が現存してたら古代の歴史も解明されてたんかな 古事記って日本で1番古い奴って知識しか無いわ
中身何が書いてあるんや?
天岩戸とか? >>286
日本ってどうやって出来たの~とか神様って何してたの~とかそんな感じ 物部氏が一方的にニギハヤヒ=ホアカリだ!て言った可能性も高いからよくわからんのだよな
先代旧事本紀はニギハヤヒを顕彰しまくりだからさ >>288
へぇ、天岩戸であってたんか
神話か歴史のどっちかだろうとは思ってたけど >>284
海部氏のにも載ってなかったけ(うろ覚え)
尾張氏ものにも載ってたかな
ホアカリの主人公感凄いわね
赤玉と同じ感じ お前何者や、どこまで信じてええかわからん
ちゃんとした研究者ならsnsで名前出してやった方がええぞ 先代旧事本紀にはニギハヤヒ=ホアカリ(海部や尾張の祖)とあります
けど逆に、数多くのホアカリを祖とする氏族はニギハヤヒが祖だなんて決して名乗ってない。つまり先代旧事本紀はホアカリ族に一方的な解釈(ニギハヤヒ=ホアカリ説)を押し付けた事になってしまう。
じゃあ誰がそんなことするのでしょうか?
『みんなの祖先実はニギハヤヒなんだよ!ニギハヤヒさますげー!』と流布して得するのは誰?
と考えたら当然物部氏
やっぱホアカリとニギハヤヒとヒボコは他人の空似か 廃仏毀釈←これもうちょっと叩かれるべきよな
安倍晋三シュレッダーに通ずるものがある >>292
あれ載ってたっけ
載ってなかったと思う 先代旧事本紀のニギハヤヒは
正式名称【天照国照彦火明櫛玉饒速日命】とある
分解すると
天照→天津神要素
国照→国津神要素
彦火明→尾張、海部の祖要素
櫛玉→鴨氏の祖要素
饒速日命→自家。すなわち物部氏の祖
ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま感があるわね >>295
新政府「坊さんは肉食ってええしお嫁さん持ってええぞー」
坊主ども「やったー!!」
新政府「あれれ?」 天皇記と国記の片方は残ったんに現存してないんやろ?
天武天皇ばっかり言われるけど天智天皇も相当怪しいよな 尾張の国造家から熱田の現宮司家になった経緯に
眉唾レベルのめっちゃ面白い話を見たんやけど
まるで忘れてしまったわ
ホアカリが出てきてたのだけ覚えてる
誰か知らんかな… >>301
靴だけ残ってたとか凄いよな
もっと必死に探せやと >>303
あーね
実際のところなんで宮司になったんだろ
壬申の乱で大活躍したんだから、もっとすげえ役職就けるだろうに 日本神話で珍しい星神の天津甕星さんは、ど直球の「悪神」認定されてたりするよね
これも古事記には登場しないから藤原の都合で作った神様だと思うわ そりゃそうだ
古事記はニンジャの歴史が書かれた秘伝書なんやからモータルにはわからないようになってる
それじゃあ偽物扱いも当然
古事記にもそう書かれている いや藤原の都合ってのは撤回。
時代の要請かな
日本書紀編纂時となると、関東には渡来人がたくさん移配されてたから大陸の星神信仰が齎されたのだろう
ただ星(北辰)は中国では「天皇大帝」の座す所とされるから、下手すりゃ天皇家の祖神たる天照や高皇産霊尊を脅かし、政権転覆の旗印にされるかもしれん
だから先回りして
星神信仰を悪神天津甕星とレッテル貼りして反乱の芽を摘んでおいたと >>310
まあ別王朝バージョンの日本書紀と古事記になっただけで結局の所なんも話変わらなさそう 実際、朝廷が星神信仰を弾圧した記録が多々残っている
•796年、日本の天皇は北斗七星を祀ることを禁じた。罰則として 「法師は名を綱所に送り、俗人は違勅の罪に処せ」 と規定した(『類聚国史』 「延暦十五年」)
•799年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「京畿の百姓」 に 「北辰に灯火を奉る」 ことを禁じた(『日本後紀』 「延暦十八年九月」)
• 811年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「北辰を祭り、挙哀改葬等の事」 を禁じた(『日本後紀』 「弘仁二年九月一日」)
•835年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「京畿」 での 「北辰に火を供えること」 を禁じた(『続日本後紀』 「承和二年八月二日」)
967年施行の 『延喜式』 は斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「九月一日より三十日まで、京畿内、伊勢、近江、等の国、北辰に奉灯し、哀を挙げ、葬を改むる」 ことを禁じた >>312
ただ牽制を振るっていたのが蘇我氏なのか藤原氏なのかという違いがあるだけで、王朝は同じでしょう >>315
どういう意味の言葉なん?
あとサムハラとかも教えてほしい 何年か前に千家へ皇族が嫁いだやん
あれ面白かったな
なんか妄想が捗るわ >>318
カタカムナは古史古伝で完全に妄想
サムハラもどういう意味なのかわからんすまんな >>320
ありがとう
ワイ合気道やってるんやけど師匠がたまに古事記の話するねんな
何言ってるかわからん 今起きたからスレ読まずに質問するが重複やったらすまんな
稗田阿礼って棺桶見つかってなかったか? 古事記って本居宣長が拾って来て話題になったのは知ってる
っぱ日本の成り立ちを学ぶのなら日本書紀だわ >>265
初期稲作の遺構と遺物の分布
ttp://inoues.net/study/nishi_nihon30.jpg >>248
なんでそんな事もわからんのに偉そうなレスしてるんや 千家、というか出雲国造って本貫は東出雲の意宇郡やろ
で「出雲国造家系譜」第26世国造・出雲臣果安の時代に天穂日命以来の土地(意宇郡大庭)から杵築の地(出雲大社)に移ったと
つまり元々出雲大社(杵築大社)には出雲國造とは違う勢力がいたんでしょうよ >>322
稗田阿礼は見つかってないよ
太安万侶は見つかってる 出雲国造の本拠地には熊野大社があるやろ
だから出雲国一宮は出雲大社だけじゃなく熊野大社まで含まれてるってわけや。
今でも出雲大社は熊野に対して屈辱的な儀礼強いられてるしな 稗田のアレってよくわからん人よな
男とも言われるし女とも言われるし
若いとも老人とも言われる 出雲大社の宮司は毎年10月に熊野大社に出向いて臼と杵を受け取るんだ。
そんでもって餅をお礼に渡す。すると熊野大社の下級神官である亀太夫は、色が悪い、去年より小さい、形が悪いなどと苦情を口やかましく言い立てるという屈辱的な神事をずーっと出雲大社はやらされてるわけだね
これ、西出雲(杵築)が東出雲(意宇)に敗北した結果だよね もっと上手く纏めよう
西部の杵築。東の淤宇氏という構造。
つまり熊野を本宗とする後の出雲國造勢力は(出雲国造は延暦17年(798年)にその職位を解かれるまで、出雲国東部の意宇郡司だった)はたぶんヤマトあたりと同盟して
杵築をついに叩き潰しそのまま乗っとってしまったと。
そして出雲国造として出雲全体の統治権を獲得
そういうわけで出雲国造は杵築大社より熊野大社を重視していたのですね 東出雲と西出雲じゃ出土品もちょっと風体が違うからな
こいつら別々だったんや おやすみ
面白そうやからスレゆっくり読ませてもらうわ >>8
今ウィキで見たけど武烈帝てむちゃくちゃやな >>337
武烈帝が無茶苦茶な方が編者にとっては都合良いもんな
次の天皇は出自がよくわからん継体天皇やろ?それなら先代をやべーやつにしておけば継体天皇が良い奴に映るようになる 国譲りとかヤマタノオロチ征伐って出雲神話の筈なのに、出雲国風土記には書かれてないんやろ 嫌儲から出張ご苦労さま
でも素人の分際で年中あれこれ適当言うのは止めな
目障りだし
引用と出典を明らかにしてないから正しさも伝わらない >>339
中国の史書からの丸パクりみたいやし
同じように悪者にしたかったんやろね こいつ嫌儲の糞beだし
中国は絶対正しいっていつも主張してるプーアノン >>341
実際文字もなかったのにどこが信憑性あんねん
欧米じゃ嘘扱いやろ >>323 >>3
こらあかんわ…て思うわな
古事記が都合がええやつが古事記を無理矢理ゴリ押ししとるんやないかと
思うしかないやん 公文書改ざんや教科書に載った捏造しぐさを見たばかりやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています