>>812
ウィキペディア見たら狩猟民族のトゥワ、農耕民族のフツ、牧畜のツチ
元は同じ民族で諍いなくルワンダ王国下にあったらしい
それを旧約聖書持ち出して分けたみたいやな
統一教会よりひどい

ツチとフツの確立と対立
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19世紀にヨーロッパ人が到来すると、当時の人類学により、ルワンダやブルンジなどのアフリカ大湖沼周辺地域の国々は、フツ、ツチ、トゥワの「3民族」から主に構成されると考えるのが主流となった。この3民族のうち、この地域に最も古くから住んでいたのは、およそ紀元前3000年から2000年頃に住み着いた、狩猟民族のトゥワであった[10]。その後、10世紀以前に農耕民のフツがルワンダ周辺地域に住み着き、さらに10世紀から13世紀の間に、北方から牧畜民族のツチがこの地域に来て両民族を支配し、ルワンダ王国下で国を治めていたと考えられていた[11]。

この学説の背景の1つに、19世紀後半のヨーロッパにおいて主流であった人種思想とハム仮説(英語版)があった。当時の人類学の1つの考え方では、旧約聖書の『創世記』第9章に記された、ハムがノアの裸体を覗き見た罪により、ハムの息子カナンが「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」[12] と、モーゼの呪いを受けたという記述に基づき、全ての民族をセム系、ハム系、ヤペテ系など旧約聖書の人物に因んだ人種に分けていた。ハム仮説とは、そのうちのハム系諸民族をカナンの末裔とみなし、彼らがアフリカおよびアフリカ土着の人種であるネグロイドに文明をもたらしたとする考え方である[13]。ルワンダにおいて、ネグロイドのバントゥー系民族に特徴的な「中程度の背丈とずんぐりした体系を持つ」農耕民族のフツを、コーカソイドのハム系諸民族に特徴的な「痩せ型で鼻の高く長身な」牧畜民族のツチが支配する状況は、このハム仮説に適合するものとされた[14]。