【画像】東京の秘境『青ヶ島』の村のシンボルマークが闇が深い
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(紋章の意義)
この紋章は、青ヶ島が不断に宇宙の秩序(幸福の原理)にのっとることによって真の自由と平和、健康と幸福が永遠、無限に確立できる理想社会創造の真義を表現する。
青ヶ島の全景及び二重火山の象形を宇宙構造のシンボルと結び同時にローマ字で青ヶ島の全文字を組み入れ、渾然融合させ、意匠化することによって青ヶ島の特徴と宇宙の秩序のメカニズムと万物生命創造のスパイラルを表し、青ヶ島が希求する真の幸福で平和な人間中心の理想郷を創造して無限に進展できる大道を象徴するものである。 (紋章の部分と全体の意義)
紋章の外円は青ヶ島の島形と無限永遠性、大▽は火口カルデラ、小△は内輪山を示し、この相反する大小2つの三角形は交錯(画像)して宇宙の真理、万物の構造と自然の調和の基本的構造を示し、全体の構図そのまま無より有を生ずる万物生命創造のスパイラルを表している。
また、構図の線はことごとくローマ字で青ヶ島、村・紋章・役場・会館・丸等の文字を示している。こうしてこの紋章は、日本有数の過疎、絶海の孤島青ヶ島がこの二元性一元の宇宙法を実践体得することによって真の健康と幸福を確立して自由と平和のモデル理想社会を創造し、これを無限永遠に伝承普及すべきプロセスを示し、その実現を希求するものである。 昭和49年(1974年)
オカルトブームとは、かつて日本で1970年代と1990年代に二回発生した、
心霊・UFO・宇宙人・UMA・終末論・超能力・超常現象・都市伝説等のオカルトに関する流行・社会現象・ブームである。 あそこまで行くなら新宿のあおがしま屋行って飯食えばええわ 奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日 - 2000年(平成12年)3月18日)
東京都・青ヶ島村の村長を五期17年3か月間務めた人物。生涯において玄米自然食(マクロビオティック)の普及に務めた。東洋哲学の思想家。 青ヶ島は、1785年(天明5年)天明の大噴火で全島民が避難し無人島になった。絶海の孤島の中で、その後五十年もの歳月をかけ、1835年(天保6年)避難先の八丈島から独力還住(全島民帰還)を果たす祖先達を指導したのが佐々木次郎太夫である。柳田國男は佐々木次郎太夫を「青ヶ島のモーゼ」と称えている。
奥山治は、島の名主となった佐々木次郎太夫の末裔である。奥山治の時代も、次郎太夫同様に僻地・離島の総引揚げが国策として推進された時代であった。村議会議員時代を含め通算27年に亘り、島の総引き揚げに抵抗し、島の発展に尽くした。 青ヶ島の空撮めちゃくちゃ綺麗だよな
ガチで何も無いけど 1回行ってみたいって思ってたけど、こんなオカルトな思想を持った島なん?
こわ 日本で一番キレイな星空らしいから宇宙的な何かを感じてもおかしくはないがちょっとぶっ飛んでるな 親戚の弁によると、奥山一寸法師の名前の由来は、長兄・佐々木ベジの発意に因るものという。
当時5歳の長兄は、一寸法師の物語に夢中だった。生まれたばかりの小さな赤ん坊を見て大喜びし「一寸法師だ!一寸法師が出てきた!」と信じて止まなかったという。
この長兄の気持ちを重んじ、否定することを避けた父・奥山治は、そのまま村役場に「奥山一寸法師 昭和35年5月5日生まれ 三男」と出生届を出した。
父・奥山治は「もし、一寸法師という名前が都合が悪ければ、変な名前だという理由で、20歳になれば自分で改名することもできる。つまり、自分で自分の名前を付けられる自由を潜ませた命名でもある」と、自ら言い聞かせていたというエピソードもある。
本人は20歳の誕生日の時に断食道場で10日の行を行ない、その結果「一寸法師で行こう」と決めたとされている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています