>>618
wikiより

空爆の結果、北ベトナム軍では小規模だった海軍と空軍がほぼ全滅し、
絶え間ない北爆とアメリカ陸空軍による物量作戦の結果、ホーチミン・ルートは多くの箇所で不通になっており、
前線部隊への補給が滞りがちになった北ベトナム軍は崩壊の一歩手前に追い込まれるまで急激に戦況が悪化した。

アメリカ軍による空爆は、北ベトナム国民に大量の死傷者を出し、
併せて只でさえ貧弱な北ベトナムのインフラストラクチャーにも大打撃を与えたことから、
北ベトナム軍と国民にも少なからず厭戦気分を植え付けた。

北ベトナム軍にとって幸いなことに、クリスマス休暇中による再度の北爆は、
国際社会の轟々たる批難と反発を受け、短期間で中止されたが、アメリカ合衆国連邦政府の目論見通り、
この空爆の成功は、北ベトナム軍を戦闘不能な状態に持ち込み、北ベトナム政府をパリ会談に出席させ、
停戦に持ち込まざるを得ない立場に追い込む事に成功した。