明治期に本格的な治水対策がとられるようになり、1906年には宇治川の付け替えが行われ、巨椋池は川と完全に切り離されました。

ちなみに、1896年に奈良鉄道(現在のJR奈良線)の桃山?玉水間が開業した際、巨椋池があったため線路は迂回して設置されました。

その後の巨椋池を待ち受けていたのは悲惨な運命でした。

水の循環が失われた結果、池の底に汚泥が堆積するなど水質の悪化が見られるようになります。その影響から蚊が大量に発生し、周辺の村ではマラリアが流行。漁獲量も減少し、周辺の農作物にも被害がおよびました。

かつて平安貴族に愛された巨椋池は「無用有害に近い存在」という扱いを受けるようになったのです。


悲しいなぁ…