北条の最後

北条高時らは東勝寺に追い詰められ自害した。『太平記』によれば寺に篭った北条一族と家臣は、
新田勢と東国西国の武士が後醍醐天皇のもとに結集した60万の大軍に攻められ、長崎高重、摂津道準、諏訪直性ら北条被官から順にそれぞれ切腹、
最後に高時、舅の安達時顕と自害したという(内管領の長崎高資、
その父長崎円喜、第15代執権の金沢貞顕(北条貞顕)など)[1]。
『太平記』には、自害した人々は283人の北条一族と家臣、
後に続いた兵を合わせて総数870人余人とあるが[1]、文学的誇張もあると推察される。