毎年ドラフト候補に挙げられながら、ようやく指名されたのは08年。
ソフトバンクからドラフト5位で指名を受けた時、悲願成就の喜びはあったが、同時に相反する感情も去来していたという。

「迷いは、ありましたよ」

 攝津が心のせめぎ合いを明かす。

「やっぱりJRって大企業ですし、普通に働いていたら定年まで会社にいられるわけじゃないですか。
ちょうど、『都市対抗野球で上位に食い込めるような成績を残せるように』って考え方が変わってきた時期でもあって。
年齢も26歳でしたし、30くらいまで投げて社業に専念しようみたいに思い始めていて。でも、せっかくプロに行けるチャンスをいただけたなら『挑戦したい』というか。
目指していた世界を知らないまま、野球を終わりたくなかったって感覚もありましたから」

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