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金華山の山頂に立つ岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長公は、この地でさまざまなことを行いました。一つ目は、当時“井ノ口”と呼ばれていたこの地を“岐阜”と改めたことです。二つ目は、商業を活性化させた「楽市楽座」と武士と農民を身分的に切り離した「兵農分離」の施行。市場がある城下町に人を住まわせ、まちを作り上げるという結果を生みました。三つ目は、「天下布武」の印を使い始めたこと。4文字に願いを込め、天下統一を志しました。また、“冷徹非道”というイメージが強い信長公ですが、軍事だけでなく、文化の力で有力者をもてなすことで仲間を増やしたともいわれています。
平成27年4月24日、岐阜市の「『信長公のおもてなし』が息づく戦国城下町・岐阜」として織田信長公が人々をもてなしたというストーリーが、日本遺産第1号に認定されました! これまでの信長公のイメージを覆す物語を振り返りながら、岐阜市のまちをめぐってみましょう。