理想のゆたぼん

青年期
ブエノスアイレス大学で医学を学ぶ。
在学中の1951年に年上の友人のアルベルト・グラナードとともにオートバイで南アメリカをまわる放浪旅行を経験した。旅の過程で、チリの最下層の鉱山労働者やペルーのハンセン病患者らとの出会いなど、当時比較的裕福であったアルゼンチン以外の南米各地の状況を見聞するほか、ホセ・カルロス・マリアテギの著書に影響を受けマルクス主義に共感を示すようになった(このことは著作『モーターサイクル南米旅行日記』に記され、後にこれを原作として映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』も制作された)。
このオートバイを、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』で主人公が乗る馬の名前にちなんでロシナンテと命名した。

1953年、大学卒業の25日後、友人のカルロス・フェレルとともに再び南米放浪の旅に出る。
J.D.ペロンの独裁政権下のアルゼンチンを離れ、当初はベネズエラのグラナードを訪れる予定だったが、ボリビア革命の進むボリビアを旅した際に、それまで虐げられてきたインディオが解放され、かつてないほど自由な雰囲気が漂っているのに大きな衝撃を受けた。
その後ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを旅行し、ハコボ・アルベンス・グスマン時代のポプリスモ(社会主義とする見方もある)政権下のグアテマラに行き着いた。グアテマラで医師を続ける最中、祖国であるペルーを追われ、グアテマラに亡命していた女性活動家のイルダ・ガデアと出会い、共鳴し、社会主義に目覚め、急速にのめりこんで行くとともに、彼女と結婚する。