連続強制わいせつ事件
1991年11月12日15時5分ごろ、横浜大洋ホエールズ総合練習場で練習をしてから自宅(横浜市緑区若草台)へ車で帰宅していた途中、
横浜市金沢区六浦町の住宅街で近隣住民の小学4年生女子児童(事件当時10歳)に対し、スカートの裾から手を入れるわいせつ行為をした。
その直後となる同日15時10分ごろには住宅街で小学5年生少女(当時11歳)に対し自分の下半身を露出したままスカートの上から尻を触るわいせつ行為を行い、
さらにその直後(15時15分ごろ)、同所付近にあった建物の階段で帰宅途中だった幼稚園児の女児(当時6歳)をいきなり後ろから抱き上げ、下着を脱がせるなどわいせつな行為をした。
神奈川県警察が事件現場周辺を調べたところ、現場には犯人の体液が遺留されていた。

横浜市内では同年秋ごろから女児への連続強制わいせつ事件が発生していたため、県警は捜査本部を設置した上で、12日の事件を同一犯の仕業と推測し、
被害が多発した時間帯に捜査員が現場付近を警戒するなど、張り込み捜査を進めていた。
その結果、2日後(11月14日15時ごろ)には、白・グレーのツートンカラーのベンツに乗った若い男が現場付近で車を降りて周辺を約15分間うろついたり、女児に声を掛けたりするなど、不審な行動を取る姿が捜査員により確認された。
そのため車のナンバーを照会したところ、割り出され、ベンツを尾行して捜査を続けたところ、その後も同月中の計4回にわたり現場でうろつく姿が目撃された。
そして神奈川県警が被害者の子どもたちに顔写真を見せたところ、証言から「間違いない」との結論が出た。

逮捕・送検
捜査結果を受け、捜査本部が1991年12月25日朝から任意同行して追及したところ、1991年11月12日の2事件(それぞれ11歳・6歳の女児2人に対する強制わいせつ・公然わいせつ事件。時系列順では2・3件目)についていずれも容疑を認める供述をしたため、神奈川県警捜査一課・金沢警察署は同日夕方に強制わいせつ・公然わいせつの容疑で逮捕した。

球界復帰への道
横浜市内の財界人グループ・母校である高知商高のOBらが「復帰を願う市民の会」を結成し、1993年1月7日から球界復帰を嘆願する署名運動を開始。
同月28日までには横浜市・高知県などを中心に100,387人分の署名が集まった。
1993年3月には当初目標の倍以上となる約22万人の署名・嘆願書が川島セ・リーグ会長に手渡された。この動きを受け、川島セ・リーグ会長は1993年5月28日に「更生の道を歩んでいる」と認め、声明に示した無期限契約回避措置を「早ければ同年6月中旬にも解除する」ことを明らかにした。