昔から子供たちと関わる優しい人やったんやね…

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジ[ディプロマミルとされる「ロサンゼルス市立大学」(シティユニバーシティロサンゼルス、City University Los Angeles)とは異なる。]に進学。

1950年(昭和25年)、美空ひばりが育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行ったが、ロサンゼルス公演の際、父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったため、ステージマネージメント全体を担当する。川田の知遇を得ると共に、ひばりとも親しく交流するようになった。このことが、日本芸能界への進出のきっかけとなる。

1952年(昭和27年)に再来日。アメリカ大使館に陸軍犯罪捜査局 (CID) の情報員(通訳の助手)として勤務する。アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教えるために、日本でわずか10ヶ月で朝鮮語をマスターし、すぐ韓国の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供たちに英語を教えた。