これは横浜で覚醒するやろな



> 新幹線の車中で自らの未熟さを受け止め、自宅に着くころにはひとつの答えを出していた。「いい意味で、好きなようにやろうと思いました。僕の野球人生です」。教えられたままやっていると、結果が出なかった時に首脳陣のせいにしてしまいそうな自分が嫌だった。ダメでも自己責任。アドバイスには耳を傾けつつも、取捨選択しながら自分の感覚を信じた。

 その姿が、指揮官の目によく映らなかったのは当然。「根気よくやっていこう」という約束を破ったと思われたに違いない。