雅子がガチエリート過ぎる

2歳の終わりごろからモスクワ市立育園に通園した。
ロシア語もすぐに上達し、妹たちにロシア語で
話し掛けたり、寝言もロシア語で言うほどだった。

1979年(昭和54年)より、
マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールへ2年間通学。
最優等学生と認められ、アメリカ政府が米国全体の上位5%の
生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」を受賞し在学中、
地元紙が掲載する「成績優秀者」の欄に常に登場していた。

1985年(昭和60年)6月、ハーバード大学を卒業する。
成績優秀な学生に贈られる「Magna Cum Laude」を受賞した。

1986年(昭和61年)、米国から帰国後に東京大学法学部3学年に
外部学士入学する。100名中3名の合格であった。

同年10月に外務公務員上級採用I種試験(外交官試験)に合格し、
外務省入省が決まる。合格者は28名でうち女性は3名であった。