義時の死因、諸説あり


『吾妻鏡』

 1224年(貞應3年)6月12日辰の刻(午前8時頃)、調子の悪い日が続いていたが、格別の変化は見られなかったという北条義時が重病となる。
 時とともに危険な状態になり、6月13日寅の刻(午前4時頃)に出家、巳の刻(午前10時頃)に亡くなった(62歳)。
 日ごろから脚気を患っていたところに、暑さによって体調を崩してしまったのが原因なのだという。

小瀬道甫『保暦間記』

【意訳】6月12日、義時(63歳)が側近の若侍に刺殺された。畏れ多くも天皇陛下(十善帝王)に謀叛を起こした罪業から逃れることはできず、かくして権力の絶頂にありながら、無念の最期を遂げられたのであった。

藤原定家『明月記』

とにかくさっさと首を刎ねろ。そうでなければ、義時の妻(伊賀の方)が義時に盛った毒を寄越して早く殺せ……。