1学年上の木下さんとは家族ぐるみの付き合いで、オフの日にはよく両家で一緒に遠出する仲だった。

突然の他界に衝撃は大きかったが、「雄介さんと一緒に戦いたい」との思いは強かった。

中日時代は3年目から憧れの背番号1をつけていたが、横浜ではいくつか候補があったにもかかわらず「98」を選び取った