三島由紀夫は50年前に日本の「保守」の欺瞞を見抜いていた

「25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今も、相変わらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、驚くべき繁殖力で、日本中に完全に浸透してしまった。

・・・こんな偽善と詐術は、アメリカの占領とともに終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
驚くべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

・・・私は、これからの日本に希望をつなぐことができない。
このままいったら、「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに強くする。

日本はなくなって、その代わり、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。
それでも、いいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

昭和45年7月7日の産経新聞「私の中の25年」