>>579
ボロボロやね…
>翌1994年も現役を続行、天皇賞(春)を目標に調教が進められていたが、復帰予定の大阪杯を右トモの筋肉痛により回避[114][115]。
これを受け宝塚記念を目標に定めたが[113]、4月14日に前回故障の患部である左前トウ骨をふたたび骨折し、4度目の休養に入った[115]。
18日に内村がこの年の天皇賞(秋)を最後に引退し、翌年春から種牡馬入りすることを発表[113]。以後は引退レースとなる秋の天皇賞に目標が切り替えられたが[115]、状態の回復が思わしくなく、天皇賞に間に合わないとの判断から8月27日に松元から引退が正式に発表された[16][113]。