>>336
2年目にして森澤厩舎へ移籍
2年目に入り、3月までに9勝を挙げて通算31勝に到達。
ここで減量が3kgから2kgに変わった。
その後、4月は1勝のみ、5月は一つも勝てなかった。
そして、6月に保利良平厩舎から森澤友貴厩舎へと移籍する。
毎日15頭くらい調教を付ける中で、
レースに乗れるのはその内の1~2頭だけ。
「そこにさらに怪我されたスタッフの分の攻め馬も
やるようになって正直しんどいな」という思いが募っていった。
相談に乗ってくれた先輩騎手からは
「昔の方がもっと乗せてもらえんかったで」という話も
聞いていたし、くじけずに頑張らないといけないという思いと
精神的に辛い状況の狭間で揺れていた。
「自分が攻め馬をつけている10頭が翌週に
まとめてレースに出る予定だったんですが、
出馬表見たら(騎手は)全部僕じゃなかった。
もうそれが決め手になりました」
と移籍に至った気持ちを包み隠さず話してくれた。
保利良平調教師も騎手出身であるが故に、
その育成方法には独自の考えがあったはずだが・・・
残念ながら20歳の若者とすれ違いが生じてしまった。
今振り返れば、「自分の根性のなさ、
信念がなかったということなんでしょうけど・・・」
と木本騎手は話すが、当時はどんどん騎乗数が減っていくこと
に焦りを感じ、「もう辞めようかな」と辛抱できないくらい
追い詰められてしまっていた。
悩んで移籍先を探していた中で、攻め馬に行かせて貰っている
厩舎の中から森澤厩舎に所属することが決まった。
そして、移籍後すぐに金沢競馬場での短期騎乗に赴いた。
「園田で居場所を失いかけていた中、
気持ちも切り替えたくて、わがままを言って
行かせてもらいました」と振り返る。
ただのヘラちゃんでは?
●兵庫・園田競馬場の木本騎手、車内で木炭焚いて自殺「僕には味方がいない」
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342それでも動く名無し
2022/12/19(月) 01:00:43.48ID:fxohzfEed■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています