『松山戦争』

天狗党は翌7日から9日にかけて八日市場近隣の村々に押入って金品を強奪し、各村の名主・組頭を縛り上げて拉致し身代金550両を奪取したうえ[2]、銚子など周辺の町を次々と襲撃して略奪を繰り返した後[3]、水戸へと戻っていった。飯高寺の『向城庵記憶帳』は、この時の有様を「辰年十月中旬、水戸藩士天狗共国元にて戦争の上~八日市・佐原・銚子・東金などの町家へ乱荒し必死難渋の沙汰」と記している[2]。