自分の弱みを見せたり、生い立ちを話すのは、同情を引くためではないのか?

そんな自分を、相手が受け入れてくれるか、確認するためではないのか?

そして、今後、何か出来ないことがあっても、その弱みや生い立ちがあるからだと事前に許しを得ておくためではないのか?

相手が怒るとすぐ引きさがるのは、納得したからではなく、怒りを鎮めてもらい、許しを得るためではないのか?

謝った相手を異常にケアするのは、相手を気遣っているわけではなく、良く思われたいからではないのか?

やたらと礼儀正しいのも、必要以上に丁寧なメールを書くのも、早々に受け入れてもらい、自分の立ち位置を確保するためではないのか?

相手を異常に持ちあげ、褒めるのも、本心からではなく、相手に良く思われ、味方として受け入れてもらいたいからではないのか?

相手から強く言われて必要以上に反省を示してしまうのは、本心から反省しているわけではなく、それ以上ことが荒立たないように、許しを得ようとするためではないのか?

相手が不機嫌になると敬語を使うのは、どちらが悪かろうが、相手をそれ以上怒らせないためで、お茶を入れたりするのは、気づかっているわけではなく、自分が原因ではないと確認するためではないのか?

つまり、その行動の『動機』は、相手と対立しないためではないのか?

相手にすり寄るためではないのか?

もしそう感じるのであれば、それは『迎合』なのです。