桃太郎といえば、どんぶらこっこと流れてきた桃から生まれた主人公が、鬼ヶ島という異界に行くお話。
川の上流には何がある?
赤ちゃん内蔵の桃が産出するくらいですから、そこも異界に決まってます。
異界から来たヒーローが、この世に福をもたらす……というお話は、昔からいっぱいあります。天孫降臨や恵比寿様から、スー○ーマンやウル○ラマンまで。洋の東西、枚挙にいとまがありません。それだけ人間は、《異界》にあこがれながら生きてきたのでしょう。

一方、

「この世界こそ本当は異界」
「その真実に目覚めるべき」
という発想は、それとはちょっとちがいます。
西洋独特の感覚な気もします。
映画でいえば、『メン・イン・ブ○ック』(1997)や『マト○ックス』(1999)もそう。そして、なぜかみんなサングラスをかける。
日本にも、月光仮○から『あぶ○い刑事』から、サングラスヒーローはいますが、グラサンかけたからって、真実の世界にめざめたりはしない。

その感覚、もしかすると、古代ギリシアまでさかのぼるかも……
哲学者プラトンに、《イデア論》というのがありまして。

私たちが生きるこの世界は、ホントは実在しない。実在するのは、完全な世界イデア。私たちの世界は、その不完全な影にすぎない。
イデアとは、英語で言えばアイデア。見ることも触れることもできず、ただ夢想することしかできない、概念の世界。
私たちがバーチャルだと思う概念こそリアルで、リアルだと思いこんでるこの世界がバーチャル──ということ。
いまのキリスト教で、天国(来世で救われる)と再臨(現世で救われる)という、一見矛盾する2つの考えが共存できるのも、そうした感覚の裏づけがあるからかもしれません。