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ジャップの洗礼浴びてて草
https://www.daily.co.jp/baseball/2022/01/29/0015019920.shtml?pg=2

 3年夏の大阪大会は1回戦で敗退した。自ら望んで門をたたいた日本の高校野球。それでも、納得できないことはたくさんあった。
入学当初は「手にまめができないと試合に出られない」という基準が設けられていた。
ダビッドは元々手の皮が分厚く、いくら振り込んでも手にまめができず。「こんなはずじゃなかった」と泣きながら、有明先生とバットを振り込んだ。

 そして、報われた。「日本みたいに(ドミニカではバットを振り込んだり)しない」と苦しみながらも、周囲に努力を認められ自分たちの代では主将に。
最後の夏の大会では、住之江公園野球場の右中間に場外ホームランを放ち、練習の成果を発揮した。

 ワーネルは、ドミニカと日本の気温の差が影響し、来日早々に右肘を故障。最速137キロだった球速が115キロまで落ちた。
それでも、「肘のトレーニング、肩のトレーニング、どれをやろうかな」と気持ちは落とさず。
リハビリ期間中にYouTubeで熱心に研究し、最速は145キロまで向上。最後の夏は背番号1を勝ち取った。